私は、あなたがたのところに在住している寄留者(直訳:奇留者と居留者)です。。。(創世記23:4)
サラが亡くなったとき、アブラハムにその真理はしみじみと感じられたことでしょう。
アブラハムは、神が約束された土地に住んでいましたが、彼が所有していた土地は、サラを埋葬するために買った墓地だけでした。彼は、ただの寄留者や居留者として暮らしていました。
私たちも寄留者や居留者としてこの世界に暮らしています。
この世の文化は、神の国の市民である私たちの文化とは異なります。この世界の人々の考え方や生き方は、私たちのものとは違います。だから、私たちは少し違和感を覚えることでしょう。
さらに、この世の痛みや、死がどのように人々を支配しているかを見ると、私たちは天国に憧れます。私たちが愛するのは、この世ではありません。むしろ、私たちはより良い世界に憧れているのです。
しかし、それは単なる夢物語ではありません。私たちは希望を持っています。それは、決して約束を破らない神によって与えられた、約束された遺産なのです。
だから、絶望せずに、希望をしっかりと抱き、前を向いて、アブラハムやサラ、そして他の信仰の先人たちの姿勢を見習いましょう。
これらの人たちはみな、信仰の人として死にました。
約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるか遠くにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり、寄留者であることを告白していました。
そのように言っている人たちは、自分の故郷を求めていることを明らかにしています。も
し彼らが思っていたのが、出て来た故郷だったなら、帰る機会はあったでしょう。しかし実際には、彼らが憧れていたのは、もっと良い故郷、すなわち天の故郷でした。
ですから神は、彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。神が彼らのために都を用意されたのです。(へブル11:13ー16)
