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マルコの福音書のデボーション

恥じているのですか

マルコの福音書8章

だれでも、このような姦淫と罪の時代にあって、わたしとわたしのことばを恥じるなら、人の子も、父の栄光を帯びて聖なる御使いたちとともに来るとき、その人を恥じます。(マルコの福音書8:38)

今まで気づいていなかったけど、イエス様の言葉には、皮肉があります。

イエス様はこの世の民を「姦淫と罪の時代」と呼ばれます。

彼らはイエス様の言葉を聞いて、恥を感じるはずでしょう。でも、実は、多くの人々は自分の罪を誇ります。さらに、彼らは罪を行う人たちを応援します。(ローマ1:21ー32)

それだけではなく、彼らはキリストの言葉に従う人たちに恥をかかせようとします。

でも、イエス様は私たちにこう言われます。

だれでもわたしに従って来たければ、自分を捨て、自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。(34節)

たぶん、十字架は、最も苦しくて恥ずべき死に方だったでしょう。人々は裸で十字架にかけられました。イエス様が十字架にかけられたとき、周りの人々はイエス様をあざ笑いました。

イエス様の弟子とは、自分の十字架を負い、イエス様の恥と苦しみを受けることを意味します。

ある人々は私たちを憎みます。

私たちをあざ笑う人もいます。

でも、イエス様が教えられたのは、私たちの恥の中に、私たちが祝福を得るということです。(マタイ5:10ー12)

さらに、私たちの大胆さによって、今、私たちをあざ笑っている人たちは、いつか救われるかもしれません。

だから、パウロと一緒に言いましょう。

私は福音を恥としません。福音は。。。信じるすべての人に救いをもたらす神の力です。(ローマ1:16)

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