マルコは言わなかったけど、今日の箇所では、たぶん二人の人たちはイエス様を微笑ませたでしょう。
ちょっと驚くべきことですが、一人は律法学者でした。なぜそれは驚くべきでしょうか。なぜなら、多くの律法学者たちは、イエス様に敵対していたからです。
もう一人は、貧しいやもめでした。
どうして、私は、その二人がイエス様を微笑ませたと思うのでしょうか。
その二人には共通点がありました。それは、彼らが、神様が人々にルールを守らせることよりも、人々の心に関心を持っておられると理解したということです。
律法学者が理解したのは、神様がユダヤ人たちに全焼のささげ物やいけにえを捧げるように命じられたけれど、それらよりも、神様が人々に心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして主を愛することを望んでおられるということです。
さらに、神様は、人々が神様が大切にされる人々(つまり、すべての人々)を大切にすることを望んでおられます。
やもめが理解したのは、自分の捧げ物が小さいけれど、その捧げ物の大きさよりも、神様が神様への彼女の愛と信頼に関心を持っておられるということです。
その日、たぶん、多くの人々は神様の律法に従い、十一献金を捧げました。彼らはそのやもめよりもたくさんのお金を捧げたでしょう。
でも、そのやもめの心は神様のものでした。イエス様はそれを見抜かれました。
私たち皆が、イエス様を微笑ませる者となりますように。
