自分の物の見方によって、詩篇139篇は心強いものかもしれませんし、もしかしたら、怖いものかもしれません。
なぜなら、この詩篇によれば、神様は私たちのことを隅々まで知っておられるからです。神様は、私たちの思いや言葉や行為のすべてを知っておられます。
もし、私たちを本当に愛してくださる神のイメージを持っていたら、それは本当に心強いことでしょう。
でも、私たちをストーキングする怪しい神のイメージを持っていたら、それは本当に怖いことでしょう。
しかし、この詩篇では、ダビデが神様をどのような方だと思っていたかが明らかです。つまり、ダビデは、自分に対する神の愛を確信していたということです。
そういうわけで、ダビデは自分の心を神様の探っておられる目に向けて開きました。
ダビデは、自分の良い心を確信していたのではありません。むしろ、ダビデは、神様の慈しみを確信していました。
その確信をもって、ダビデはこのように祈りました。
神よ、私を探り、私の心を知ってください。私を調べ 私の思い煩いを知ってください。
私のうちに傷のついた道があるかないかを見て、私をとこしえの道に導いてください。(詩篇139:23ー24)
あなたはどうでしょうか。神様をどのような方だと思いますか。
