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出エジプト記のデボーション

主の権威を拒む心

出エジプト記5章

主とは何者だ。私がその声を聞いて、イスラエルを去らせなければならないとは。

私は主を知らない。(出エジプト記5:2)

たぶん、ファラオのように、自分の人生における主の権威をきっぱりと否定するクリスチャンは、あまりいないでしょう。

しかし、私たちはどれほど、自分の不従順のために言い訳をするでしょうか。

どれほど、聖書に記されている神様の明快な言葉を否定するでしょうか。

聖霊様が私たちの罪を指摘されるとき、どれほど、私たちは御霊の声を無視するでしょうか。

そうすることで、私たちは基本的にこう言っていることになります。

「主とは何者だ。私がその声を聞かなければならないとは。私は主を知らない。」

「主よ」と「いいえ」とは、相いれない言葉です。

もし、イエス様が本当に私たちの主であるならば、どうして、私たちは主に「いいえ」と言えるでしょうか。

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