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出エジプト記のデボーション

血によって近づく者たち

出エジプト記24章

モーセはその血を取って、民に振りかけ、そして言った。

「見よ。これは、これらすべてのことばに基づいて、主があなたがたと結ばれる契約の血である。」(出エジプト記24:8)

その言葉を読むとき、私はいつも最後の晩餐でのイエス様の言葉を思い起こします。

これは多くの人のために、罪の赦しのために流される、わたしの契約の血です。(マタイ26:28)

モーセや祭司たちや、長老たちは血に振りかけられたので、彼らは神様の裁きを恐れず、神様との交わりができました。(9〜11)

そのように、私たち皆は(クリスチャンのリーダーたちだけではなく)、イエス様の血に振りかけられたので、裁きを恐れず、神様との交わりができます。

ペテロによれば、私たちは天の父に選ばれ、聖霊に聖別され、イエス様の血の注ぎかけを受けました。

そのゆえ、私たち皆は、恵みを受け、神様との平和を持っています。(第一ペテロ1:1〜3)

出エジプト記24章を読むとき、ヘブル9章も読んだ方が良いでしょう。

ヘブル書の著者は出エジプト記24章を引用し、その出来事をちょっと解説します。

でも、とりあえず、この素晴らしい言葉を心に留めておきましょう。

雄やぎと雄牛の血や、若い雌牛の灰を汚れた人々に振りかけると、それが聖なるものとする働きをして、からだをきよいものにするのなら、まして、キリストが傷のないご自分を、とこしえの御霊によって神にお献げになったその血は、どれだけ私たちの良心をきよめて死んだ行いから離れさせ、生ける神に仕える者にすることでしょうか。(へブル9:13ー14)

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