イスラエルの子らはこの安息を守り、永遠の契約として、代々にわたり、この安息を守らなければならない。
これは永遠に、わたしとイスラエルの子らとの間のしるしである。
それは主が六日間で天と地を造り、七日目にやめて、休息したからである。(出エジプト記31:16-17)
「主はやめて、休息した」とは、実に興味深い言葉です。
まるで神様が疲れて、英気を養わなくてはならないかのように聞こえます。
しかし、もちろん神様にはそのような必要はありません。
むしろ、神様はご自分の働きを止めて、一息つかれたのです。けれども、それは疲れたからではなく、ご自分が造られたものを楽しもうと思われたからなのです。
どれぐらい、私たちは自分がしていることを休憩して、ちょっと一息つき、創造主との関係を楽しむでしょうか。
もちろん、私たちは毎日そうした方がいいです。でも、特に日曜日に、私たちはそうした方がいいです。
時々、クリスチャンたちは問いかけます。「私は毎週の日曜日に、教会に行かなくてはならないのですか。」
でも、その考え方は間違っています。
教会に行くのは義務ではありません。教会に行くのはチャンスなのです。
毎週の日曜日に、私たちは2時間ぐらい、仕事や勉強や日常の単調さを休憩して、創造主との関係を楽しむことができます。私たちに対する神様のあわれみと恵みを思い出します。
さらに、教会では、神の家族を祝福するチャンスがあるし、神の家族に祝福されるチャンスもあります。
あなたにとって、教会は何でしょうか。
教会に行くのは、義務でしょうか。
それとも、教会に行くのはチャンスでしょうか。

One reply on “一息つく”
興味深いメッセージ感謝します。7日目にやめて、休息したからである(31章17節)は欽定訳では、on the seventh day he rested and was refreshedと書いてあります。「休まれて、リフレッシュされた」のであります。人間にも休んで、リフレッシュするように神が語っておられる気がしています。
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