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民数記のデボーション

神が私たちの口に置かれることば

民数記22章

バラムはバラクに言った。

「ご覧なさい。私は今あなたのところに来ているではありませんか。私に何が言えるでしょう。神が私の口に置かれることば、それを私は告げなければなりません。」(民数記22:38)

私が教会で聖書を教えているので、その言葉は私の心を打ちました。

私には、単に好きなことを教える自由がありません。神様が私の口に置かれた言葉を告げなければなりません。

しかし、すべてのクリスチャンがその原則に従わなければなりません。

時には、周りの人々が、自分が聞きたいことを言うように、私たちにプレッシャーをかけてきます。

パウロはこう言いました。

というのは、人々が健全な教えに耐えられなくなり、耳に心地よい話を聞こうと、自分の好みにしたがって自分たちのために教師を寄せ集め(ます)。。。(第二テモテ4:3)

イエス様も、そんなプレッシャーをよく感じられました。けれども、イエス様はいつも天の父の言葉に応じて話されました。(ヨハネ7:16-17)

それに、バラムとは違って、イエス様はいつも天の父の栄誉を求められました。

私たちは、主の模範に従って、恵みとまことをもって人々に語りましょう。

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