しかし、私たちは昼の者なので、信仰と愛の胸当てを着け、救いの望みというかぶとをかぶり、身を慎んでいましょう。(テサロニケ人への手紙第一5:8)
「望みというかぶとをかぶり」という言葉は、私の心を打ちました。
この世界には、多くの人々が希望をあまり持っていません。むしろ、たくさんの人々が絶望の中にいます。多くのクリスチャンたちも絶望しています。
私たちは、この世の問題を見るからです。また、自分の問題を見るからです。
でも、パウロが私たちに促すのは、「絶望の念から守るために、望みをかぶりなさい」ということです。
でも、どんな望みのかぶとをかぶるべきでしょうか。それは、私たちの救いの望みです。
神様がいつかこの世の悪を裁くという希望です。
でも、裁きの日に、私たちが神の御怒りを受けないという希望を持っています。
むしろ、イエス様が私たちの罪のために死なれたから、神様との私たちの関係が回復して、私たちが生きていても、死んでも、イエス様と共にいつまでも歩むという希望を持っています。(9ー10節)
さらに、私たちが不完全な者であり、自分の罪と弱さと戦っているにもかかわらず、神様が私たちを完全に聖なる者とし、私たちの霊、たましい、からだのすべてが、イエス様がこの世に帰るときに、責められるところのない者として保たれているという希望を持っています。(23節)
私たちは、いつも真実ではないかもしれません。
でも、私たちを召された神様は真実ですから、そのようにしてくださいます。(24節)
だから、望みをかぶりましょう。
そして、神様が良い方で、私たちを愛していることを信じる信仰が、私たちの心を守りますように。
