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ローマ人への手紙のデボーション

神の律法の弱点

ローマ人への手紙8章

肉によって弱くなったため、律法にできなくなったことを、神はしてくださいました。

神はご自分の御子を、罪深い肉と同じような形で、罪のきよめのために遣わし、肉において罪を処罰されたのです。

それは、肉に従わず御霊に従って歩む私たちのうちに、律法の要求が満たされるためなのです。(ローマ人への手紙8:3ー4)

今週、ヤイロの娘と長血をわずらっている女の人の話を考えていました。(マルコ5章)

私が気づいたのは、神様の律法は、死体や長血をわずらっている女の人を汚れているものと呼ばれるということです。(レビ記15:25ー32;民数記19:11ー13)

また、律法によれば、汚れているものに触れる人自身も、汚れているものになりました。

でも、律法ができなかったのは、汚れているものを清めることです。

律法はその女の人を癒すことができなかったし、ヤイロの娘を復活させることもできませんでした。

でも、律法ができなかったことを、イエス様はしてくださいました。イエス様はその女の人を癒し、ヤイロの娘を復活させてくださいました。そうすることで、イエス様はその女の人とヤイロの娘を清めてくださいました。

そのように、神様の律法は罪を汚れているものと呼び、罪に触れる人を汚れているものと呼ぶことができました。でも、律法は私たちを清めることができないし、私たちに命を与えることもできません。

それは、律法の弱点です。

でも、律法ができないことを、イエス様はしてくださいました。イエス様は十字架で死んでくださって、私たちの罪を清め、私たちに命を与えてくださいました。

私たちがしなくてはならないのは、一つのことだけです。ヤイロとその女の人のように、イエス様を信じることです。

彼らの信仰によって、その女の人とヤイロの娘は救われました。そのように、私たちの信仰によって、私たちも救われました。

だから、パウロと一緒に喜びましょう。

こういうわけで、今や、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。(1節)

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