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サムエル記第一のデボーション

神様を聖なる方とする

サムエル記第一4ー6

だれが、この聖なる神、主の前に立つことができるだろう。(ササムエル記第一6:20)

私たちはしばしば神様の愛と恵みについて話すので、つい、神様との関係を軽んじてしまうことがあります。

そうすると、私たちは大切なことを忘れてしまいます。神様は聖なる方です。だから、私たちは神様を聖なる方としなくてはいけません。

私たちは、神様を魔法のランプの妖精のジーニーのように考えてはいけません。イスラエル人たちが主の契約の箱を戦場に運んだとき、そのような考え方がありました。(4章)

ペリシテ人たちとは違って、私たちは神様をこの世の偽の神々と同じように考えてはいけません。(5章)

そして、神様を軽んじてはいけません。イスラエル人たちは神様を軽んじて、ただの好奇心から契約の箱を開けて、その中を見ました。(6章)

神様は聖なる方であり、私たちの畏れにふさわしい方です。だから、私たちは神様を聖なる方としなくてはいけません。(レビ記22:32〜33、第一ペテロ3:15)

神様は愛の神ですが、天使たちが神様を褒め称えるとき、「愛の神、愛の神、愛の神」とは歌いません。

むしろ、天使たちは「聖なる、聖なる、聖なる、主なる神、全能者」と歌います。(イザヤ書6:3;黙示録4:8)

あなたは、どのように神様を考えているでしょうか。神様を聖なる方としているでしょうか。それとも、神様を軽んじているでしょうか。

ペテロの言葉を心に留めておきましょう。

むしろ、あなたがたを召された聖なる方に倣い、あなたがた自身、生活のすべてにおいて聖なる者となりなさい。

「あなたがたは聖なる者でなければならない。わたしが聖だからである」と書いてあるからです。

また、人をそれぞれのわざにしたがって公平にさばかれる方を父と呼んでいるのなら、この世に寄留している時を、恐れつつ過ごしなさい。(第一ぺテロ1:15ー17)

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