マリアは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方がご自分の民をその罪からお救いになるのです。(マタイの福音書1:21)
「この方がご自分の民をその罪からお救いになるのです。」
その言葉を聞いて、ヨセフはとても驚いたでしょう。
「私の息子が自分の民をその罪から救う?どういうことだろう?私の息子がどうやって人々をその罪から救うことができるのだろうか。」
その時、ヨセフは十字架をまったく想像できなかったでしょう。
もし御使いが、「この方はローマ人たちからお救いになる」と言っていたら、ヨセフはたぶんすぐに理解できたでしょう。なぜなら、神様は似た言葉をサムソンの両親に語られたからです(士師記13:5)。
しかし、「この方がご自分の民をその罪からお救いになるのです」とは?
現代でも、その言葉を聞いて、ヨセフと同じように戸惑う人は多いでしょう。
もし彼らが自分に救いが必要だと思えば、政府の圧制からの救いを考えるでしょう。または、経済的な問題、健康の問題、家庭の問題などを考えるでしょう。
それらの問題が取り去られれば、喜びと平和を得られると考えるでしょう。
だから、もし彼らが祈ろうと思っても、それらの問題のために祈るでしょう。
けれども、彼らが気づいていないのは、自分の最大の問題が自分の罪であるということです。つまり、自分の罪からの救いを必要としていることに気づいていないのです。
多くの人々は自分の罪を軽んじています。また、自分の行為を罪として認めていません。
その一方で、ある人たちは自分の罪によって罪悪感と後悔を抱いていますが、どうしたらよいかわかりません。
それでも、どちらの場合でも、メッセージは同じです。
「イエス様がご自分の民をその罪からお救いになるために来られました。」
ですから、クリスマスのことを考え、私たちの愛する人々にクリスマスの意味をどのように説明すべきかを考えるとき、そのメッセージの中心を心に留めておきましょう。
イエス様がご自分の民をその罪からお救いになるために来られました。
