弟子は師以上の者ではなく、しもべも主人以上の者ではありません。弟子は師のように、しもべは主人のようになれば十分です。(マタイの福音書10:24ー25)
たぶん、すべてのクリスチャンたちが「私はイエス様のようになりたい」と言うでしょう。
もちろん、イエス様はそれを聞いて、とても嬉しいでしょう。
でも、イエス様のようになることは、いつも楽な人生というわけではありません。
24〜25の前後を読むと、イエス様が私たちに警告しているのは、ある人々が福音を拒絶し、イエス様が迫害されたように、私たちも迫害されるかもしれないということです。
だから、私たちが自分自身に問いかけなくてはならないのは、それを受け入れられるかということです。良いことも悪いことも受け入れるほどに、私たちはイエス様のようになりたいのでしょうか。
イエス様、あなたのようになりたいのです。でも、そのような人生は、いつも楽しくて、楽ではないということがわかります。
時には、あなたが苦しまれたように、私も苦しまなくてはならないのです。また、あなたが拒絶されたように、私も拒絶されることがあるかもしれません。
でも、私には、あなたが私と共におられることが十分です。もし、私があなたのようになることができるなら、私は満足です。
