イタイは王に答えて言った。
「主は生きておられます。そして、王様も生きておられます。王様がおられるところに、生きるためでも死ぬためでも、このしもべも必ずそこにいます。」(サムエル記第二15:21)
その言葉は私の心に響きました。
イタイは外国人でした。おそらくピリシテ人で、ダビデがサウルから逃れていた頃に彼に従い始めました。
なぜ彼がピリシテを離れたのかは聖書に記されていませんが、ダビデがついに王となった時、イタイは新しい国、新しい家を見出しました。
しかし今、ダビデは再び逃亡中でした。今回は、息子アブサロムからの逃亡でした。
イタイはエルサレムの居心地の良い家に留まることもできましたが、彼は再びダビデに従う道を選びました。
ダビデは彼に残るよう説得しようとしましたが、イタイはどうしてもダビデと共に行くことを望みました。
彼の言葉を読んで、新約聖書に登場するもう一人の人物を思い出しました。その人はイエス様にこう言いました。
「あなたがどこに行かれても、私はついて行きます。」
イエス様はその人に、ダビデがイタイに語った言葉とよく似たことを語られました。
狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には枕するところもありません。(マタイ8:20)
私たちは、その人がどう答えたかわかりません。彼はイタイのように、「私の主がおられるところに、生きるためでも死ぬためでも、このしもべも必ずそこにおります」と答えたでしょうか。
主よ、あなたは楽な人生を約束されません。しかし、あなたは私を愛してくださっています。あなたは私を救ってくださいました。あなたがおられるところこそ、私の家なのです。
だから、私の王、あなたがおられるところに、このしもべも必ずおります。
