出て行け、出て行け。血まみれの男、よこしまな者よ。主がサウ ルの家のすべての血に報いたのだ。。。
今、おまえはわざわいにあうのだ。 おまえは血まみれの男なのだから。(サムエル記第二16:7ー8)
たぶん、その言葉はダビデの心に染みたでしょう。
もちろん、ダビデはサウルとイシュ・ボシェテを殺したわけではないし、サウルの王座を奪ったわけでもありません。
それでも、ダビデは殺人者でした。そして、ナタンはダビデに、神様がその罪のゆえにダビデの家の中からダビデの上にわざわいを引き起こす、と言っていました(第二サムエル記12:11)。
だから、シムイの言葉が大分間違っていても、その言葉には真実味がありました。
もしかしたら、そういうわけで、ダビデは、「彼が呪うのは、主が彼に『ダビデを呪え』と言われた。だれが彼に『おまえは、どうしてこういうことをするのだ』と言えるだろうか」と言ったのかもしれません(10節)。
ダビデは自分の罪の実を刈り取っていました。
それでも、神様はダビデを責めていたわけではありません。神様はすでにダビデを赦してくださっていたのです(第二サムエル記12:12)。
さらに、私たちは後で見ることになりますが、神様はダビデの味方でした(第二サムエル記17:14)。
時々、この世界で、私たちは自分の罪の実を刈り取ります。
その時、サタンが私たちを責め、その言葉は私たちの心に染みます。なぜなら、その言葉には真実味があるからです。
でも、私たちがすでに悔い改めたのなら、神様は私たちを責めていないことを覚えておきましょう。
神様は私たちをすでに赦してくださいました。さらに、神様は私たちの味方です。
だから、パウロの言葉を心に留めておきましょう。
だれが、神に選ばれた者たちを訴えるのですか。(神ではありません。)
神が義と認めてくださるのです。
だれが、私たちを罪ありとするのですか。(イエスではありません。)
死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、しかも私たちのために、とりなしていてくださるのです。 (ローマ8:33ー34)
