主によって語られたことは必ず実現すると信じた人は、幸いです。(ルカの福音書1:45)
神様が約束されたことを信じることには、祝福があります。
その約束を信じるとき、苦しい時にも、私たちは希望を与えられます。 なぜなら、神様が私たちの味方であることを知っており、神様が私たちのための計画を実現してくださることも知っているからです。(ローマ8:18-32)
さらに、
信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。
神に近づく者は、神がおられることと、神がご自分を求める者には報いてくださる方であることを、信じなければならないのです。(へブル11:6)
だから、私たちが自分に問いかけなくてはならないのは、「神様が約束されたことを信じているだろうか」ということです。
私たちは、マリアと一緒にこの歌を歌えるでしょうか。
私のたましいは主をあがめ、私の霊は私の救い主である神をたたえます。この卑しいはしために、目を留めてくださったからです。
ご覧ください。今から後、どの時代の人々も、私を幸いな者と呼ぶでしょう。力ある方が、私に大きなことをしてくださったからです。
その御名は聖なるもの、主のあわれみは、代々にわたって、主を恐れる者に及びます。(46-50節)
