この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人間に与えられていないからです。(使徒の働き4:12)
クリスチャンとして、私たちはこのような言葉を何度も聞いてきたので、もはや深く考えることも少ないかもしれません。
しかし今日、私の心にこの問いが浮かびました。「そのユダヤ人の指導者たちは、それを聞いて何を思っただろうか。」
「イエス以外には、誰によっても救いはないって?でも、ヤハウェだけが私たちの救い主です。」(ヤハウェとは、ユダヤ人やクリスチャンが信じる神の御名です。)
また、「天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人間に与えられていないって?でも、ヤハウェだけが私たちの救い主です。」
実は、その考え方は間違っていませんでした。預言者イザヤを通して、神様はこう語られました。
わたし、主(直訳、「ヤハウェ」)ではなかったか。わたしのほかに神はいない。正しい神、救い主、わたしをおいて、ほかにはいない。
地の果てのすべての者よ。わたしを仰ぎ見て救われよ。わたしが神だ。ほかにはいない。
わたしは自分にかけて誓う。ことばは、義のうちにわたしの口から出て、決して戻ることはない。すべての膝はわたしに向かってかがめられ、すべての舌は誓い…(イザヤ書45:21-23)
でも、ユダヤ人の指導者たちが知らなかったのは、神様が人間となられたということです。つまり、イエス様こそがヤハウェなのです。
だからこそ、神様はマリアに「その子をイエスと名付けなさい」と言われました。「イエス」とは、「ヤハウェが救い」を意味します。
また、使徒パウロも後に、上記のイザヤ書の言葉をイエス様に当てはめました。(ピリピ2:6-11)
イエス様を知らない、私たちの愛する人々のことを考えると、きっと多くの人がこう思いたくなるでしょう。「その人はイエス様を知らないけれど、神様はきっと受け入れてくださるだろう。」
しかし、イエス様のみ名のほかに、私たちが救われるべき名は与えられていないのです。なぜなら、イエス様だけが人となられた神であり、私たちの罪のための代価を払ってくださった方だからです。
さらに、イエス様が神であったからこそ、私たちの罪の代価を完全に払うことができたのです。
だから、今日祈るときに、イエス様を知らないあなたの愛する人々のことを思い起こしましょう。そして、彼らに救いの良い知らせを伝えるための機会と大胆さを求めて祈りましょう。
