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ヨハネの手紙第一のデボーション

希望があるから

愛する者たち、私たちは今すでに神の子どもです。

やがてどのようになるのか、まだ明らかにされていません。しかし、私たちは、キリストが現れたときに、キリストに似た者になることは知っています。キリストをありのままに見るからです。

キリストにこの望みを置いている者はみな、キリストが清い方であるように、自分を清くします。(ヨハネの手紙第一3:2-3)

天のお父さん、私は希望を持っています。なぜなら、あなたは私をご自分の子供と呼んでくださっているからです。

また、イエス様がこの世にもう一度来られるとき、私はイエス様に似た者になるという希望を持っています。その日、私はイエス様をありのままに見るからです。

そういうわけで、私は今、イエス様のようになろうと努めています。イエス様のように歩みたいです。イエス様と同じように、人々を愛したいです。

でも、私が失敗し、罪を犯すときでも、私はなお希望を持っています。なぜなら、あなたは決して私を諦めないからです。

むしろ、もし私が自分の罪を告白するなら、あなたは真実で正しい方で、その罪を赦し、私をすべての不義からきよめてくださいます。(第一ヨハネ1:9)

サタンが私を責めても、私の心が私を責めても、あなたは私の心よりも大きな方であり、すべてをご存じです。つまり、私があなたを本当に愛していることをご存じなのです。(ヨハネ20:15−21)

どうか、毎日、私があなたの愛と恵みと希望の中で歩むことができますように。イエス様の御名によって祈ります。アーメン。

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ヨハネの手紙第一のデボーション

キリストの恵みと知識において成長する

今日、ヨハネの手紙第一2:12〜14に思いを巡らしていました。特に、クリスチャンの成長の段階について考えていました。

幼いクリスチャンたちは、神様やその御言葉をあまり知らないかもしれませんが、神様についての一つの真理を理解し始めています。

「私のパパは私を愛し、受け入れている。私が失敗しても、私のパパはまだ私を愛し、赦してくれる。」

その確信があるので、彼らはためらうことなく神様に近づくことができます。恐れることなく、彼らのパパのもとに走ることができます。

成熟したクリスチャンたちも同じ関係を持っていますが、彼らの神様との体験はさらに深いものです。彼らは単にパパを見るのではなく、永遠から生きておられる方を見ます。すべてを造られた万能の創造主を見ます。

すべての道が完全である聖なる方を見ます。ご自分の性格、つまり愛、恵み、あわれみが決して変わらない方を見ます。

彼らは不実で、何度も失敗してきましたが、それでも神様のいつくしみと忠実さを経験してきました。だから振り返ると、彼らは神様に畏敬の念を抱き、自然と礼拝の心が湧き上がってきます。

そして、青年のクリスチャンたちがいます。彼らはミルクだけを飲むのではなく、聖書の固形物を食べています。その御言葉は彼らのうちにとどまっています。

彼らは御言葉を振るうのが上手になりました。その御言葉と経験によって、彼らは善と悪を見分ける感覚を訓練されています。そういうわけで、彼らは罪やサタンに打ち勝ち始めます。

天のお父様、あなたの教会にいる幼いクリスチャンたちのために祈ります。

彼らがあなたを本当に知るように祈ります。彼らが、あなたに愛され、受け入れられ、赦されることを本当にわかってくるように。その確信をもって、彼らが小さい子供のように、あなたのもとに走り、近づくように。

また、あなたの教会にいる成熟したクリスチャンたちのために祈ります。

あなたとの関係、またあなたとの体験を振り返ると、彼らがあなたに畏敬の念を抱くように。また、彼らがその体験を若いクリスチャンたちに伝えるように。

最後に、あなたの教会にいる若者たちのために祈ります。

あなたの御言葉が彼らのうちにとどまるように。彼らが善と悪を見分ける感覚を訓練されるように。誘惑や試練や霊的な戦いに直面するとき、彼らが御霊の剣、つまりあなたのことばを上手に振るうように。

イエス様の御名によって祈ります。アーメン。

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ペテロの手紙第二のデボーション

恵みと知識において成長する

私たちの主であり、救い主であるイエス・キリストの恵みと知識において成長しなさい。

イエス・キリストに栄光が、今も永遠の日に至るまでもありますように。(ペテロの手紙第二3:18)

主よ、私の最大の願いは、あなたとの関係を妨げるすべての障害を押しのけて、あなたに近づくことです。

赦しのためだけでなく、救いのためだけでもなく、私の人生のすべてにおいて、あなたの恵みを望みます。

私の仕事のために、あなたの恵みを望みます。

私の家族のためにも、あなたの恵みを望みます。

また、私の性格が成長するために、あなたの恵みが必要です。

私の愛が成長するためにも、あなたの恵みが必要です。

だから、毎日毎日、一瞬一瞬、私が自分の力や知恵に頼ることなく、あなたの知恵と復活の力に頼り、あなたと共に歩むように教えてください。

さらに、私はあなたを知りたいです。あなたの御心を知りたいです。あなたの思いを知りたいです。あなたが何を大切にされるのかを知りたいです。

ですから主よ、あなたの恵みによって、私をあなたのもとへと引き寄せてください。

私があなたの恵みと知識において成長するように助けてください。あなたの御名によって祈ります。アーメン。

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ペテロの手紙第二のデボーション

偽りの自由の約束

その人たちに自由を約束しながら、自分自身は滅びの奴隷となっています。人は自分を打ち負かした人の奴隷となるのです。(ぺテロの手紙第二2:19)

今日の箇所で、ペテロは教会にいる偽教師について警告しています。実際、現代の教会にも多くの偽教師がいます。彼らは聖書を神の言葉ではなく、ただの人の言葉として見なしています。

だから、文化が聖書に反することを教えると、彼らはその文化に従います。文化と偽教師たちが約束するのは、神の言葉を捨てれば自由を得られるということです。

しかし、こうした「自由」は実際には多くのものを破壊します。人々の人生を破壊し、さらには人々の魂を滅ぼしてしまいます。

本当の自由を与えてくださるのは、イエス様だけです。本当の自由を望むなら、私たちはイエス様の教えを信じ、その教えにしがみつかなければなりません。イエス様の教えを拒む人は、自分がイエス様の弟子だと主張することはできません。

だから、イエス様の言葉を心に留めてしょう。

あなたがたは、わたしのことばにとどまるなら、本当にわたしの弟子です。

あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。(ヨハネ8:31ー32)

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ペテロの手紙第二のデボーション

神の恵みと平安を知るため

神と、私たちの主イエスを知ることによって、恵みと平安が、あなたがたにますます豊かに与えられますように。(ぺテロの手紙第二1:2)

私たち皆、神の恵みと平安を知りたいと願っているでしょう。

今日の箇所で、ペテロは私たちがそれらをどのように得ることができるかを教えてくれます。

その恵みと平安は、天の父との関係、そしてイエス様との関係から生まれるものです。

天の父とイエス様についての知識だけではなく、天の父とイエス様を本当に知っていることによって、私たちは恵みと平安を受けるのです。

その関係によって、私たちはいのちをもたらす力にアクセスできます。

人生の困難や試練に直面するとき、私たちは神様の力と知恵にアクセスできます。

結婚生活がうまくいくように、子育てのために、自分の傷を癒すために、私たちに傷をつけた人たちを許すために、そして私たちを破壊している習慣を克服するために、私たちはその力と知恵にアクセスできるのです。

でも、一番大切なのは、私たちが天の父のようになれるように、その力にアクセスできるということです。そして、私たちは実を結び、神様のためにこの世に触れ始めます。

それを見て経験すると、恵みと平安が私たちにますます豊かに与えられます。

その恵みと平安を望んでいますか。私はそれらがほしいのです。

あなたを知りたいです。
あなたの御声を聞きたいです。
あなたをもっと知りたいです。

あなたに触れたいです。
あなたの御顔を見たいです。
あなたをもっと知りたいです。ーーアンディー・パク

 

 

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ペテロの手紙第一のデボーション

目を覚ます

万物の終わりが近づきました。ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい。(ペテロの手紙第一4:7)

身を慎み、目を覚ましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、吼えたける獅子のように、だれかを食い尽くそうと探し回っています。(ペテロの手紙第一5:8)

ペテロは上の言葉を書いたとき、自分の失敗を思い出していたでしょうか。

イエス様は、サタンがペテロを麦のようにふるいにかけることを願っていると警告されました。(ルカ22:31)また、イエス様はペテロに、「誘惑に陥らないように、目をさまして、祈っていなさい」と訓戒されました。(マタイ26:41)

ペテロはどう反応したでしょうか。彼は寝静まってしまいました。だから、試練が来たとき、彼は大きな失敗をしました。(マタイ26:69–75)

私たちの多くは、「試練が来るとき、私は堅く信仰に立ちたいけど、できるかなぁ」と言います。

でも、天の父に繋がっていなければ、もし毎日、天の父から力や導きや知恵を受けていなければ、私たちは固く立つことができません。

イエス様はこの世におられたとき、それをよく知っておられました。だからこそ、彼は毎日天の父と時間を過ごされました。そして、試練が来たとき、ペテロと違って、イエス様は固く立つことができました。

試練の時、あなたは固く立ちたいですか。毎日、天の父と繋がっていますか。時間を取って、聖書を読んでいますか。祈っていますか。

それとも、あなたは眠っているのでしょうか。

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ペテロの手紙第一のデボーション

無視されているわけではない

主の目は正しい人たちの上にあり、 主の耳は彼らの叫びに傾けられる。(ぺテロの手紙第一3:12)

この間、私は教会でメッセージをしました。テーマは、神様が私たちの祈りに「ノー」と答えるとき、また、神様の答えが遅く感じられるときについてでした。

最近、私にとって、神様の答えがとても遅く感じられます。つまり、一ヶ月ほど、私は健康問題と戦っています。

でも、ペテロの言葉、そして実際にはダビデの言葉(詩篇34:15)が本当に励ましてくれました。

神様の答えが遅く感じられても、神様が「ノー」と答えても、神の耳はいつも私たちの祈りに傾けられています。神様は私たちを無視しているわけではありません。

それに、神様の目は私たちの上にあります。

それは、私たちが本当に良い人だからとか、他の人よりも正しい人だからということではありません。

むしろ、神の愛する子供たちとして、私たちはキリストの義を着せられているからです。

それは本当にすごい真理ですね。

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ペテロの手紙第一のデボーション

あなたがいつくしみ深い方だから

生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、霊の乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。

あなたがたは、主がいつくしみ深い方であることを、確かに味わいました。(ペテロの手紙第一2:3)

主よ。私は何度もあなたのいつくしみを味わってきました。あなたは私を選び、あなたの祭司とされました。あなたは私を御国に歓迎し、ご自分の尊いものとしてくださり、闇の中から驚くべき光の中へと召してくださいました。

私は以前、あなたの国民に属していませんでしたが、今はあなたの国民に属しています。かつてはあわれみを受けたことがありませんでしたが、今はあわれみを受けています。

私は羊のようにさまよっていました。しかし、あなたは良い羊飼いとして私を取り戻してくださいました。

あなたは本当にあわれみ深い方です。あなたは良い方です。

だから今、私があなたの御言葉をもっと慕い求める者となりますように。

クリスチャンの本は素晴らしいものです。そして、ノンクリスチャンの人たちからも学ぶことができます。

でも、あなたの御言葉だけによって、私は純粋な真理を得ることができます。

その真理は私に命を与えてくださいます。

その真理はあなたを現してくださいます。

だから、私はあなたの言葉に飛び込みます。

私がそうしなければならないからではありません。

聖書を読むのがクリスチャンのやるべきことというわけでもありません。

むしろ、私があなたを愛しているからです。

私はあなたのいつくしみを味わったからです。そして、あなたの御言葉を通して、あなたのいつくしみをもっと味わいたいのです。

あなたの尊い御名によって祈ります。アーメン。

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ペテロの手紙第一のデボーション

通過しているだけ

イエス・キリストの使徒ペテロから寄留している選ばれた人たち(へ)(ぺテロの手紙第一1:1)

「寄留している人たちへ。」

その言葉は私の心を打ちました。私は日本に27年間住んでいるので、ある意味で日本は私の国になっています。それでも、私がこの国に実際に属していないというリマインダーをよく見ます。

例えば、今でも、私の日本語はいまいちですし、和食よりも洋食が好きです。(私には、納豆がまだ苦手ですね。)

クリスチャンとして、私たちも同じような経験をしています。この世は私たちの「国」のように見えますが、私たちは実際にこの世に属していないのです。

この壊れた世界を見ると、その真理を実感するでしょう。戦争もあるし、疾患もあるし、罪もあるし、苦しみもあるし、死もあるのです。

私たちはただこの世を通過しているだけです。

でも、この世にあって、私たちは生ける望みを持っています。私たちは選ばれて、神の子どもになりました。私たちは朽ちることも、汚れることも、消えていくこともない資産を受け継ぎました。その遺産は、私たちのために天に蓄えられています。(4)

イエス様が私たちの罪のために死んでくださり、三日目によみがえられたので、その遺産の確信を持っています。

さらに、聖霊様が私たちのうちに住んでおられ、私たちの力ではなく神様の力によって救いのために守られているので、私たちの遺産が確実なものであることを知っています。(1ー2、5)

だから、私たちがこの世に属していないというリマインダーを日々目にし、また、試練によって悲しみの中で試されることがあっても、私たちは「ことばに尽くせない、栄えに満ちた喜びに躍る」ことができます。

なぜなら、私たちは「信仰の結果である、たましいの救いを得ているからです。」(6ー9)

私はもう一度言います。「私たちは喜ぶことができます。」

しかし、私たちは本当に喜んでいるでしょうか。それは、時に難しいことです。特に、苦しみの中にあるときには、喜ぶことが難しく感じられます。

けれども、一つのことを覚えているなら、私たちは喜ぶことができます。それは、「私たちはただこの世を通過しているだけ」という真理です。

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使徒の働きのデボーション

希望を持っているからこそ

しかし、パウロはこう答えた。「わずかな時間であろうと長い時間であろうと、私が神に願っているのは、あなたばかりでなく今日私の話を聞いておられる方々が。。。みな私のようになってくださることです。」(使徒の働き26:29)

パウロのように、私たちは希望を持っています。

永遠の命という希望を持っているのです。

ある日、すべてのものが新しくなるという希望も持っているのです。

すべての悪が裁かれるという希望も持っているのです。

また、恵みによって、神の子どもとして私たちが御国に受け入れられる希望も持っているのです。

私たちはパウロの希望を持っています。でも、パウロの心も持っているでしょうか。それは、周りの人々が私たちのようになってくれるということです。つまり、彼らも希望を持つ者になってくれるということです。

また、私たちは、彼らが闇から光へ、サタンの支配から神へと立ち返るように望むでしょうか。

そして、彼らが悔い改めて、イエス様を信じる信仰によって、罪の赦しを得て、聖なる者とされた人々とともに相続にあずかるように祈るでしょうか。

それは、あなたの心でしょうか。

イエス様、神の子どもとして私に希望を与えてくださり、感謝します。私の周りの人々もその希望を知るように、私を遣わしてください。私にパウロの心を与えてください。あなたの心を私に与えてください。あなたのみ名によって祈ります。アーメン。

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使徒の働きのデボーション

神の裁きのことを考えるとき

数日後、フェリクスは。。。パウロを呼び出し、キリスト・イエスに対する信仰について話を聞いた。

しかし、パウロが正義と節制と来たるべきさばきについて論じたので、フェリクスは恐ろしくなり(ました)。(使徒の働き24:24-25)

私にとって興味深いのは、神様の裁きに関して、パウロとフェリクスは正反対の反応をしていたということです。

パウロは希望をパウロは、持って、その裁きを考えました。(15節)

その反面、フェリクスは裁きを恐れていました。なぜなら、心の中で、フェリクスは自分の罪をよく知っていたからです。また、自分が神の裁きを受けるにふさわしい人物であることも、知っていたからです。

では、どうしてパウロは神の裁きを考えたとき、希望を持つことができたのでしょうか。それは、今や、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してないからです。(ローマ8:1)

イエス様は十字架で、私たちの罪の罰を受けてくださいました。

だから、パウロは神様からの罰を恐れていませんでした。むしろ、パウロは天の父の愛に安心していました。自分が神の子どもであるという確信をもって、安心していたのです。

ヨハネは何年か後に、この言葉を書きました。

こうして、愛が私たちにあって全うされました。ですから、私たちはさばきの日に確信を持つことができます。この世において、私たちもキリストと同じようであるからです。

愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。

恐れには罰が伴い、恐れる者は、愛において全きものとなっていないのです。(第一ヨハネ4:17-18)

天のお父様、私があなたに裁かれることを恐れる必要がないことを感謝します。むしろ、あなたの愛と恵みによって、私はあなたの子どもとして受け入れられているという確信をもって、あなたの御前に立つことができます。

だから、私はあなたに近づきます。私はあなたを敬います。私はあなたを愛します。イエス様の御名によって祈ります。アーメン。

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使徒の働きのデボーション

私たちのそばに立っておられる神

その夜、主がパウロのそばに立って、「勇気を出しなさい。。。」といわれた。(使徒の働き23:11)

今朝、上の言葉は私の心を打ちました。

「主がパウロのそばに立ちました。」

私たちがどんな試練に直面していても、神様を見ることができるかどうかにかかわらず、神様は私たちのそばに立っておられます。そして、神様は私たちにささやかれます。「勇気を出しなさい。私はあなたと共にいるよ。」

今日の話を読んで、私にはさらに2つの聖書箇所が思い浮かびました。

恐れるな。わたしはあなたとともにいる。

たじろぐな。わたしがあなたの神だから。

わたしはあなたを強くし、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。(イザヤ書41:10.しかし、どうぞ11-14節も読んでください。)

詩篇16篇にあるダビデの言葉も思い出しました。

私はほめたたえます。助言を下さる主を。 実に、夜ごとに内なる思いが私を教えます。

私はいつも、主を前にしています。主が私の右におられるので、私は揺るがされることがありません。(詩篇16:7-8)

今日、少し時間を取って、この真理に思いを巡らせましょう。「主が私のそばに立っておられます。」

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使徒の働きのデボーション

精選された

私たちの父祖の神は、あなたをお選びになりました。あなたがみこころを知り、義なる方を見、その方の口から御声を聞くようになるためです。

あなたはその方のために、すべての人に対して、見聞きしたことを証しする証人となるのです。(使徒の働き22:14-15)

アナニアはパウロに、「神様はあなたをお選びになりました」と言いました。

原語では、「選ぶ」という言葉には、「精選する」というニュアンスがあります。

神様はパウロを精選されました。何のためでしょうか。

神様のみこころを知るためです。イエス様を見るためです。イエス様の御声を聞くためです。そして、イエス様の証人となるためです。

しかし、その言葉はすべてのクリスチャンに当てはまります。

神様はあなたを精選されました。神様のみこころを知るためです。イエス様を見るためです。イエス様の御声を聞くためです。

「でも、私は神様のみこころを知らない。それに、イエス様を見たこともない。イエス様の御声を聞いたこともない。」

けれども、あなたがクリスチャンであるならば、そのすべてをすでに経験しているはずです。

あなたは、悔い改めて神様に従うべきだという神のみこころが、少しずつわかってきました。また、神様があなたを御自分の子どもとすることを望んでおられることも、わかってきました。

そして、神様の御言葉を読むたびに、あなたは神様のみこころをさらに深く知ることができるようになります。

自分の目でイエス様を見たことがないし、自分の耳でイエス様の御声を聞いたことがないかもしれません。でも、神様はあなたの心の中で働かれ、あなたが神様を信じるようになりました。

そして、ある日、私たちは自分の目でイエス様の御顔を見るのです。(第一ヨハネ3:2)

しかし、二つのことを覚えておくべきです。

普通、人が精選される理由は、その人が特別な存在であり、特別な資格を持っているからです。でも、それは神様が私たちを選ばれた理由ではありません。

神様の恵みだけによって、私たちは精選されたのです。この世が造られる前から、神様は私たちを知っておられました。私たちの弱さも、罪も、失敗も、すべてをあらかじめ知っておられました。

それでも、神様はこう言われました。「あなたを精選する。」

もう一つのことを覚えておきましょう。神様が私たちを精選された理由は、私たちがただ神様との関係を楽しむためだけではありません。

もちろん、神様は私たちと親しい関係を望んでおられます。しかし、パウロのように、神様は私たちをご自分の証人として精選されたのです。私たちは、神様の福音をこの死にかけている世界に伝えるべきです。

自分のために生きるのではなく、あなたのために死んで復活されたイエス様のために生きるために、あなたは精選されたのです。(第二コリント5:15)

少しおすすめがあります。エペソ人への手紙1:3-14と、第二コリント5:14-21を読んでみてください。

その言葉を心に深く刻んでください。これらの箇所で、パウロはアナニアの言葉を具体的に説明しています。

パウロが悟ったのは、アナニアの言葉がパウロ一人のためではなく、すべてのクリスチャンのためであるということです。

私たちは神様に精選されました。それは、本当に驚くべき真理です。

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使徒の働きのデボーション

走るべき道のりを走り尽くし

ご覧なさい。私は今、御霊に縛られてエルサレムに行きます。そこで私にどんなことが起こるのか、分かりません。

ただ、聖霊がどの町でも私に証しして言われるのは、鎖と苦しみが私を待っているということです。

けれども、私が自分の走るべき道のりを走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音を証しする任務を全うできるなら、自分のいのちは少しも惜しいとは思いません。(使徒の働き22ー24)

パウロの歩んだ道と、その道に対する彼の態度は、イエス様のそれとよく似ています。

イエス様もパウロも、御霊に縛られてエルサレムへ向かいました。どちらも、そこに苦しみが待っていることを知っていました。

それでも、自分のいのちを惜しむことなく、走るべき道のりを走り抜き、与えられた任務を全うしようとされました。

おそらくパウロは、意識的にイエス様の模範に従おうとしていたのでしょう。イエス様は、「ご自分の前に置かれた喜びのために、辱めをものともせずに十字架を忍ばれました」(ヘブル12:2)

では、私たちはどうでしょうか。私たちも、パウロと私たちの主が持っていたその態度を、心に抱いているでしょうか。

主よ。私のためにあなたが受けられた苦しみを思うと、私は涙を禁じ得ません。

あなたは私のために、いのちを惜しむことなく、自らの道のりを走り尽くし、天の父から受けた任務を全うされました。

ですから、私も、すべての重荷と絡みつく罪を捨てることができるように助けてください。私があなたから目を離さず、私の前に置かれた競走を、忍耐をもって走り続けることができますように。(ヘブル12:1ー2)

主よ。私は弱い者です。自分の力では何もできません。しかし、あなたが力ある神であることを信じます。ですから、御霊によって私のうちに住んでください。

そして、私も自らの道のりを走り尽くし、あなたから受けた任務を全うするために、力を与えてください。あなたの尊い御名によって祈ります。アーメン。

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使徒の働きのデボーション

カウンターカルチャー

そのころ、この道のことで、大変な騒ぎが起こった。(使徒の働き19:23)

キリスト教が生まれたとき、「この道」と呼ばれていました。おそらく、その名前はヨハネ14:6にあるイエス様の言葉に基づいていたのでしょう。

そして、キリスト教が誕生して以来、「この道」は常にカウンターカルチャーでした。

この話の少し前、人々は「クリスチャンたちは世界中を騒がせてきた者だ」と叫びました。(使徒の働き17:6)

エペソでは、多くの人々が福音に反対して、「偉大なるかな、エペソ人のアルテミス」と叫びました。

私たちがイエス様に忠実に従うなら、家族や人間関係、社会の中で大きな騒ぎが起こるかもしれません。暴動ではないかもしれませんが、本当に深刻な問題が起こる可能性はあります。

なぜなら、私たちが信じていることは、この社会の教えと相容れないからです。

そして、私たちが信じていることを語り、信仰に従って生きるなら、ある人々は怒りを覚えるでしょう。時には、私たちが愛している人々さえも怒るかもしれません。

では、私たちはどうすればよいのでしょうか。

イエス様が死なれた後、弟子たちがしたように、私たちは自分の部屋に隠れるべきでしょうか。(ヨハネ20:19)

それとも、神様に近づき、神様と共に歩み、その愛と受け入れを受けるべきでしょうか。

御霊の力によって、私たちは部屋を出て、悔い改めと神の赦しのメッセージをもって周囲の人々に触れていきましょう。

また、この混乱した世界の中で、イエス様の言葉を心に刻み続けましょう。

平安があなたがたにあるように。父がわたしを遣わされたように、わたしもあなたがたを遣わします。。。聖霊を受けなさい。(ヨハネ20:21ー22)

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使徒の働きのデボーション

神様の言葉を、積極的に聞いていますか?

教会のメッセージを聞くとき、クリスチャンのポッドキャストを聞くとき、またクリスチャンの本を読むとき、私たちはどのような態度を取るべきでしょうか。

ベレヤ人たちは、私たちがどんな態度を持つべきかを示しています。

ここのユダヤ人は、テサロニケにいる者たちよりも良い人たちで、非常に熱心にみことばを聞き、はたしてそのとおりかどうかと毎日聖書を調べた。 (使徒の働き17:11)

彼らは何をしたでしょうか。

1.彼らは熱心に聞きました。神様の声を本当に聞きたいと願っていました。

2.パウロの言葉が聖書に合っているかどうかを確かめるために、彼らは聖書を丁寧に調べました。

私たちは、同じようにするでしょうか。

聖書を読むとき、また聖書に関するメッセージを聞くとき、私たちは神様が語ってくださることを期待しているでしょうか。

私たちの心と体は、神様の御言葉を聞く準備ができているでしょうか。もしかすると、私たちは眠気を感じているかもしれません。あるいは、疲れているかもしれません。もしくは、他のことに心を奪われているかもしれません。

私たちは、牧師やクリスチャンの著者の言葉をそのまま受け入れてしまうでしょうか。それとも、彼らの言葉を聖書と照らし合わせて吟味するでしょうか。

私たちは聖書を大切にし、日々読んでいるでしょうか。

神様が私たちの心に語られるとき、私たちはその言葉を実践するでしょうか。それとも、すぐに忘れてしまうでしょうか。(先週の日曜日のメッセージを、まだ覚えているでしょうか。)

神様の御言葉に対する私たちの態度は、どのようなものでしょうか。

どうか、私の言葉を誤解しないでください。私の願いは、あなたが罪悪感を抱くことではありません。

良い知らせは、私たちが失敗するとき、神様が私たちを引き上げてくださるということです。私たちが何度も失敗するからこそ、イエス様は十字架にかかってくださいました。

イエス様の言葉を、心に留めていましょう。

だから、聞き方に注意しなさい。というのは、持っている人は、さらに与えられ、持たない人は、持っていると思っているものまでも取り上げられるからです。(ルカ8:18)