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列王記第一のデボーション

神様の柔和さ

列王記第一19章

主は、あわれみ深く、情け深い。 怒るのに遅く、恵み豊かである。

主は、いつまでも争ってはおられない。とこしえに、怒ってはおられない。。。

父がその子をあわれむように、主は、ご自分を恐れる者をあわれまれる。

主は、私たちの成り立ちを知り、私たちが土のちりにすぎないことを心に留めてくださる。(詩篇103:8ー9,13ー14)

列王記19章を読んだとき、神様は上の言葉を私に思い出させてくださいました。

エリヤは本格的な「かわいそうパーティー」を開いていました。

神様は「死にたいのか?それなら死になさい」と言われることもできたはずです。

しかし、神様は逆に愛をもって、エリヤに御使いを遣わし、焼きたてのパンと水を与えてくださいました。

そして、山の上での神様とエリヤの会話について、少し考えてみましょう。

神様が「外に出て、山の上で主の前に立て」と命じられたとき、エリヤはどう感じたでしょうか。

彼はおそるおそる外に出て、神様の反応を恐れたでしょうか。痛烈な叱責を予想していたでしょうか。

もしそう感じていたのなら、エリヤが見たものは安心させるものではありませんでした。

彼は激しい大風も、地震も、火も見ました。

ところが、注意深く見たとき、神様がその大風や地震や火の中にはおられないことに気づきました。

むしろ、神様がもう一度語りかけられたとき、かすかな細い声で優しく語りかけられました。

とはいえ、神様はエリヤがその「かわいそうパーティー」に居続けることを許されませんでした。

むしろ、神様はエリヤに、その「かわいそうパーティー」から離れて、ご自身の奉仕に戻るように命じられました。

多くのクリスチャンは神様の怒りを恐れます。彼らは失敗したとき、神様がいつも怒っておられ、彼らを叱責されると思っています。

しかし、私たちの天のお父さんはそのようなお方ではありません。

神様は私たちを常に叱りつけておられるわけではありません。

むしろ、神様はかすかな細い声で、私たちが再び立ち上がり、神様についていくように励ましてくださいます。

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