アハブがナボテを殺したとき、神様はアハブとその家族を裁かれました。
しかし、アハブが神様の御前にへりくだったとき、神様はその裁きを先延ばしにされました。(列王記第一21:21〜29)
それでも、アハブはやがて再び神様に反抗し、殺されました。(列王記第一22章)
けれども、私が驚いたのは、アハブの息子ヨラムに対する神様の恵みです。12年間にわたって、神様は何度もヨラムを助けてくださいました。(列王記第二3章、5〜7章)
さらに、神様がご自身の驚くべきタイミングをヨラムに示されたことで、ヨラムはシュネムの女の人を助けてくれました。(8:1〜6)
おそらく、神様はヨラムほど他の不敬虔なイスラエルの王に、そのような恵みを与えられなかったでしょう。
それでも、私たちはヨラムが最終的に悔い改めて神様に従ったという示唆をまったく見ていません。むしろ、彼は自分の罪に執着し、それから離れることがありませんでした。(列王記第二3:3)
その結果、神の裁きが彼に下されたのです。
では、私は何を言いたいのでしょうか。
旧約聖書を読むとき、神様の裁きが厳しすぎると感じるのは容易です。
けれども、私たちが忘れてはならないのは、最も反抗的な人々に対してさえ、神様が忍耐強く、恵み深くおられたということなのです。
神様は正義の方であり、永遠に裁きを先延ばしにすることはできません。それでも、神様は人を裁くことを喜ばれる方ではありません。むしろ、神様は人を憐れむことを喜ばれるのです。
だからこそ、神様は預言者エゼキエルにこう語られたのです。
わたしは生きている──神である主のことば──。
わたしは決して悪しき者の死を喜ばない。
悪しき者がその道から立ち返り、生きることを喜ぶ。(エゼキエル33:11)
