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列王記第二のデボーション

私たちが誰ものであるかを思い出す

列王記第二16章

「アハズは使者たちをアッシリアの王ティグラト・ピレセルに遣わして言った。「私はあなたのしもべであり、あなたの子です。。。」(列王記第二16:7)

この話の背景をもっと知りたいなら、イザヤ書7章を読んでみてください。

アハズがアラムやイスラエルと対立している最中に、イザヤは有名なインマヌエルの預言を語りました。

イザヤ書7章では、神様はアハズにこう語られました。

「私を信じなさい。あなたの敵は成功しない。信じるためのしるしを与える。しるしを求めなさい。」

しかし、アハズは神様を信じることを拒み、しるしを求めませんでした。

むしろ、彼はアッシリアの助けを求めました。その助けを受けたものの、「贈り物」を送らねばならず、結局、アハズの「主」と「父」はイスラエルに敵対することになったのです。

もしアハズがへりくだって神様に向かい、「私はあなたのしもべであり、あなたの子です」と告白していたなら、その結果はどれほど異なっていたことでしょうか。

私は今、自分の問題に直面しながら、神様が私にこう語っておられると感じました。

「あなたが誰のものであるかを覚えていなさい。あなたは私のしもべです。しかし、それだけではなく、あなたは私の愛する子です。私を求めなさい。私を信じなさい。」

そして、神様は私にこの詩篇を思い起こさせてくださいました。

神はわれらの避け所、また力。苦しむとき、そこにある強き助け。それゆえ、われらは恐れない。

たとえ地が変わり、山々が揺れ 海のただ中に移るとも。

たとえその水が立ち騒ぎ、泡立っても、その水かさが増し、山々が揺れ動いても。。。

「やめよ。知れ。わたしこそ神。わたしは国々の間であがめられ、地の上であがめられる万軍の主はわれらとともにおられる(インマンヌエル)。

ヤコブの神はわれらの砦である。(詩篇46:1ー3、10ー11)

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