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マタイの福音書のデボーション

私たちとともにおられる神

マタイの福音書1章

このすべての出来事は、主が預言者を通して語られたことが成就するためであった。

「見よ、処女が身ごもっている。 そして男の子を産む。 その名はインマヌエルと呼ばれる。」

それは、訳すと「神が私たちとともにおられる」という意味である。(マタイの福音書1:22ー23)

今朝、私はその最後の言葉に思いを巡らせました。つまり、「神様が私たちとともにおられる」ということです。

私たちとともにおられる。

私たちから遠く離れておられない。

私たちとともにおられる。

神様は、私たちをご自身の愛にふさわしくない者と見なして、私たちから遠ざかられることはありません。

私たちとともにおられる。

私たちの罪や失敗をご覧になっても、私たちをお見捨てにはなりません。

私たちとともにおられる。

私たちを常に責めておられるのではなく、むしろ、私たちを擁護してくださっています。

私たちとともにおられる。

敵が私たちを攻撃するとき、神様は私たちを見捨てることなく、私たちのために戦ってくださいます。

私たちとともにおられる。

私たちの神様は、確かに私たちとともにおられます。

見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。(マタイ28:20)

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