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マタイの福音書のデボーション

恵みの言葉、裁きの言葉

マタイの福音書11章

今日、私の心を打ったのは、イエス様が語られた恵みのことばと裁きのことばです。

イエス様は数々の奇跡を行われましたが、ある町の人々が悔い改めることを拒んだため、イエス様は彼らを厳しく裁かれました。

イエス様はご自身のミニストリーにおいて、常にその線を引かれました。イエス様は悔い改めのメッセージを語られました。

イエス様が説教されたとき、そのメッセージを語られました(マタイ4:17)。また、弟子たちを遣わされたときにも、同じメッセージを語るよう命じられました(マルコ6:12)。

そして、人々が悔い改めないとき、イエス様は裁きについて警告されました(ルカ13:1〜8;ヨハネ5:14)。

それと同時に、イエス様のことばは恵みに満ちていました。牢に入れられ、信仰が揺らいだヨハネに対して、イエス様は励ましのことばを与えられました。

また、罪悪感を抱えていた人々や、宗教指導者たちの律法主義的な規則によって重荷を負っていた人々に、イエス様は安らぎを与えられました。

しかし、悔い改めてイエス様を信じてこそ、私たちはその安らぎを真に知ることができます。

イザヤも、同じようなメッセージをイスラエルの民に語りました。

「立ち返って(別訳:悔い改めて)落ち着いていれば、 あなたがたは救われ、 静かにして信頼すれば、 あなたがたは力を得る。」 しかし、あなたがたはこれを望まなかった。(イザヤ30:15)

それは、コラジン、ベツサイダ、そしてカペナウムの人々の問題でした。だから、イエス様は彼らを裁かれました。

しかし、イエス様に対して柔らかい心を持っている人々には、たとえ疑いや罪悪感を抱えていたとしても、イエス様は恵みを与えられました。

さて、私たちには、もろもろの天を通られた、神の子イエスという偉大な大祭司がおられるのですから、信仰の告白を堅く保とうではありませんか。

私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯しませんでしたが、すべての点において、私たちと同じように試みにあわれたのです。

ですから私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、折にかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。(へブル4:14ー16)

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