また彼らは、重くて負いきれない荷を束ねて人々の肩に載せるが、それを動かすのに自分は指一本貸そうともしません。(マタイの福音書23:4)
パリサイ人たちと律法学者たちは、周囲の人々の罪をよく指摘しました。
しかし、彼らは罪の重荷に苦しんでいる人々に手を差し伸べ、あわれむことはありませんでした。
イエス様のことばを読んで、私はこう考えました。「私はただ人々の罪を指摘するだけなのだろうか。それとも、罪によって苦しんでいる人々をすぐに助けてあげる者なのだろうか。」
おそらく、パウロは上のイエス様のことばを思い巡らしながら、このことばを書いたのでしょう。
兄弟たち。もしだれかが何かの過ちに陥っていることが分かったなら、御霊の人であるあなたがたは、柔和な心でその人を正してあげなさい。
また、自分自身も誘惑に陥らないように気をつけなさい。
互いの重荷を負い合いなさい。そうすれば、キリストの律法を成就することになります。(ガラテヤ人への手紙6:1ー2)
天のお父さん、パリサイ人たちや律法学者たちのようにはなりたくありません。ただ人々の罪を指摘する者ではなく、罪によって苦しんでいる人々に対するイエス様の心を持つ者となれますように。
あわれみの心を私に与えてください。
イエス様の御名によって祈ります。アーメン。
