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イザヤ書のデボーション

聖なる神、恵み深い神

イザヤ書6章

これは、聖書の中で私が最も好きな箇所のひとつです。この箇所を読むたびに、私はいつも深く感動します。

今日は、神様の聖さと恵みについて思い巡らしていました。

セラフィム(ある種の天使)は叫びました。

聖なる、聖なる、聖なる、万軍の主。 その栄光は全地に満ちる。(イザヤ書6:3)

残念なことですが、ウジヤ王はその生涯の後半において、神様の聖なるさを認めることを拒み、神様の目から見て、ひどい罪を犯してしまいました。(歴代誌第二26:16〜21)

その反面、イザヤは神様の聖なるさを認め、叫びました。

ああ、私は滅んでしまう。この私は唇の汚れた者で、 唇の汚れた民の間に住んでいる。 しかも、万軍の主である王をこの目で見たのだから。(5)

でも、それと同時に、私たちは神様の恵みも見ることができます。

皮肉なことに、イスラエルに対する神様の裁きの中に、私たちはその恵みを見ることができます。神様はイザヤに、「この人々の心を肥え鈍らせなさい」と言われました。

では、イザヤはどのようにして彼らの心を肥え鈍らせたのでしょうか。彼らが聞きたくない真理を語り続けることによって、イザヤはそうしたのです。

最終的に、イスラエルはバビロンに倒されました。でも、イザヤの言葉によって「切り株」が残されました。

その「切り株」とは、神様に忠実な人々のことでした。たとえば、ダニエル、エゼキエル、ネヘミヤ、エズラは、ずっと神様に忠実に仕えました。

そして、その「切り株」を通して、イエス様は来て、私たちを救ってくださいました。

幻でイザヤが見た王は、王座から下り、この世に来て、私たちのために死んでくださいました。(ヨハネ12:23〜41)

それがクリスマスの意味です。王は私たちを救うために、ご自分の王座からくだり、この世に来てくださいました。

だから今、イザヤのように、私たちは自分の恥と咎をもってイエス様のみ前に来るとき、イエス様は恵みをもって、私たちに言われます。「あなたの咎は取り除かれ、あなたの罪も赦された。」

だからこそ、私たちは歌います。

Joy to the world!
世界に喜びを!

The Lord is come!
主がおいでになりました!

Let earth receive her king!
地のすべての民は、その王をお迎えいたしましょう!

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