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テトスへの手紙のデボーション

真の礼拝

テトスへの手紙2章

キリストは、私たちをすべての不法から贖い出し、良いわざに熱心な選びの民をご自分のものとしてきよめるため、私たちのためにご自分を献げられたのです。(テトスへの手紙2:14)

最近、私はこの疑問について考えています。人々が「ワーシップするのが好きです」と言うとき、それは何を意味しているのでしょうか。また、私自身は何を意味しているのでしょうか。

多くの人々がそう言うとき、「賛美するとき、私は本当に嬉しいです。神様の愛を感じるから。神様が私とともにおられることを感じるから」という意味で使っています。

実は、アメリカ人として、「ワーシップ」という言葉を聞くとき、賛美を思い浮かべるので、そのような人々に共感できます。

しかし、日本では、聖書の翻訳者たちは「ワーシップ」ではなく「礼拝」という言葉を用いています。

「礼拝」とは何でしょうか。それはただ賛美することなのでしょうか。礼拝は、神様に愛の歌を歌うことだけなのでしょうか。礼拝は、教会での日曜日の集まりだけなのでしょうか。

それは違います。

礼拝、すなわち真のワーシップとは、イエス様がその素晴らしいあわれみのゆえに十字架にかけられたことを認めることです。

さらに、真のワーシップとは、イエス様がなぜそのようにしてくださったのかを理解することです。 それは、私たちをご自分のものとし、罪から清め、良いわざに熱心な民とするためです。

私たちはイエス様のものとなりました。私たちはイエス様に属する者です。

ですから、礼拝—ワーシップとは—ただ神様に愛の歌を歌うことではありません。

ワーシップとは、「私の人生はすべてあなたのものです。私の時間も、お金も、すべてのものをあなたにささげます」と告白する生活を送ることです。

ローマ書11章から12章にかけて、パウロはこのことについて語りました。

彼は歌を歌いましたが、その歌は単なる神への愛唱ではありませんでした。むしろ、パウロはこう歌いました。

「すべてのものが神から発し、神によって成り、神に至るのです。この神に、栄光がとこしえにありますように。」(ローマ11:36)

そして、パウロは真のワーシップを定義します。

ですから、兄弟たち、私は神のあわれみによって、あなたがたに勧めます。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。

それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。(ローマ12:1)

あなたはどうでしょうか。「ワーシップが大好き」と言うとき、あなたはパウロのワーシップの定義を用いているでしょうか。

天のお父さん、私が本当にワーシップを愛するように。私が何も隠さず、喜んで私のすべてをあなたに捧げるように。

あなたをそのようにワーシップするのは、ふさわしいことです。なぜなら、あなたは私を造り、あなたのみこころゆえに、私は存在し、また造られたのですから(黙示録4:11)。

すべてのものがあなたから発し、あなたによって成り、あなたに至るのです。だから、私の歌の中だけではなく、私の人生の全体において、あなたに栄光がありますように。イエス様の御名によって祈ります。アーメン。

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