今年、私の教会では、自分の心に単に従ってはいけないということを学んでいます。なぜなら、私たちの心が間違った道に私たちを導いてしまうことがあるからです。
だから、心に従うのではなく、むしろ神様に従うように、私たちは自分の心を導くべきです。
そのような態度を取ることはとても大切です。なぜなら、この壊れた世界では、私たちの考え方がひねくれてしまうのは簡単なことだからです。
ユダヤ人たちもそのようになりました。彼らはバビロンの追放から戻ってきて、神殿もエルサレムの城壁も再建されましたが、なお多くの問題に直面しました。
そのため、彼らは神の愛と神の正義を疑い(マラキ書1:2;2:17)、神様に仕える価値を疑いました(3:14)。
その態度は、彼らの神様への接し方に表れています。つまり、彼らは神様を侮ったり(1:6〜8)、神様のものを盗んだりしました(3:14)。
さらに、その態度は、ユダヤ人たちが自分の妻への接し方(2:14〜16)、また互いへの接し方にも表れています(3:5)。
しかし、すべてのユダヤ人がそのような態度を取っていたわけではありません。自分の状況にかかわらず、周りの人々の態度にかかわらず、彼らは自分の心を導いて、主に従い続けました。
神様が自分を愛しておられることを信じることを選びました。神様がいつかこの世に正義をもたらすと信じることを選びました。だから、彼らは神様に忠実に仕え続けました。
その結果は?
主は耳を傾けて、これを聞かれた。主を恐れ、主の御名を尊ぶ者たちのために、主の前で記憶の書が記された。
「彼らは、わたしのものとなる。──万軍の主は言われる──わたしが事を行う日に、わたしの宝となる。人が自分に仕える子をあわれむように、わたしは彼らをあわれむ。」(マラキ書3:16-17)
この世の問題や、自分の問題を見るとき、自分の考え方はひねくれてしまっているでしょうか。
自分の心を導き、神様を信頼し、従うことを選ぶでしょうか。
