パウロの挨拶を読むとき、二つのことばが目に留まりました。
パウロはアペレという人について、「彼はキリストにあって認められている人だ」と言いました(10)。
また、ルフォスという人について、パウロは「彼は主にあって選ばれた人だ」と言いました(13)。
実は、パウロはすべてのクリスチャンについて、同じように言うことができたはずです。それなのに、どうして彼は特にこの二人に対して、そのようなことばを添えたのでしょうか。
私たちはその二人についてほとんど何も知りません。だから、これは私のただの意見ですが、もしかしたら、その二人にはパウロの励ましのことばが必要だったのかもしれません。
聖書において「認められる」ということばには、「試された」というニュアンスが含まれています。
ですから、もしかすると、当時アペレは試練のただ中にいたのかもしれません。迫害や苦しみを経験していた可能性もあります。だからこそ、彼は時に「どうして?」と問いかけていたのかもしれません。
でも、パウロは彼に言いました。「あなたは試練に直面し、苦しみました。でも、あなたとあなたの信仰は、火で精錬された金のようです。神様はあなたに『よくやった』と言われています」(第一ペテロ第1:7)。
そして、パウロはルフォスに言いました。「あなたはイエス様にあって選ばれました。キリストにあるあなたのアイデンティティを忘れないでください。」
しかし、パウロが前に言ったように、ルフォスは自分の良い行動や実績によって選ばれたわけではありませんでした。むしろ、神様の恵みと憐れみによって、彼は選ばれました(ローマ書9:11〜17)。
けれども、私はもう一度言います。パウロのことばは、その二人のためだけのものではありません。そのことばは、イエス様に属するすべての人のためのものです。
だから、あなたが試練に直面しているなら、神様を信頼し続け、あなたへの神の慈しみと愛を信じ続けましょう。そして、アペレのように、あなたは火で試練された金のように現れてきます(ヨブ記23:10)。
また、あなたのアイデンティティを忘れないでください。あなたは主にあって選ばれた者です。
