「彼らを見る者はみな、彼らが主に祝福された子孫であることを認める。」
私は主にあって大いに楽しみ、私のたましいも私の神にあって喜ぶ。主が私に救いの衣を着せ、正義(別訳:義)の外套をまとわせ。。。」(イザヤ書61:9-10)
この箇所を読むとき、たいてい1〜3節が私の目に留まります。 なぜなら、イエス様がそのことばを、ご自身に当てはめられたからです(ルカ4:18〜21)。
でも今日、9〜10節が私の目に留まりました。私はどれほど祝福されているかに気づかされました。
私はいつも、自分の欠点や失敗、そして罪ばかりを見てしまいます。でも、恵みによって、神様は私に救いの衣と、キリストの義の外套を着せてくださいました。
天のお父さん、私は本当に祝福されています。あなたにあって楽しみ、あなたにあって喜びます。なぜなら、あなたが私に救いの衣と、キリストの義の外套を着せてくださったからです。
私はその衣を作る必要はありませんでした。私はその外套を買う必要もありませんでした。
イエス様、あなたはご自身の血によってその衣を贖い取ってくださり、私に着せてくださいました。
ただ、「ありがとう」としか申し上げることができません。
