彼らはみな、「イエスという別の王がいる」と言って、カエサルの詔勅に背く行いをしています。(使徒の働き17:7)
この言葉は、私の心を深く打ちました。それは、この世界への私たちのメッセージだからです。つまり、私たちには別の王がいるということです。
その王は天地の主です。なぜなら、その王はすべてのものを造られたからです。 だからこそ、その王は私たちの忠誠と愛にふさわしい方です。
ある意味、悔い改めとはイエス様が誰であるかを認めることです。つまり、イエス様は私たちの王であるということです。
罪とは、私たちの人生においてイエス様の権威を拒絶することです。 悔い改めとは、イエス様の権威に服従することです。
しかし、多くの人々はイエス様の権威に服従することを恐れています。パウロとシラスのメッセージを聞いた人々は、本当に動揺していました(17:8)。
だからこそ、私たちはこのメッセージが本当に「良い知らせ」であることを、周りの人々に伝えなければなりません。
私たちの王は良い方です。私たちの王は、私たちを深く愛しておられます。そして、すべてをその王に明け渡すとき、私たちは本当のいのちと喜びを知るのです。
私自身の人生において、その真理を経験しました。私はイエス様にすべてを明け渡す喜びを経験しました。そして、その喜びをもっと深く経験したいと願っています。
私は、神様のすべての民がその喜びを知るように祈ります。
この国の人々は、良い知らせを必要としています。あなたが愛している人々も、その良い知らせを必要としています。
しかし、私たち自身がそれを本当に「良い知らせ」だと信じていないなら、どうして彼らが信じるようになるでしょうか。
