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マルコの福音書のデボーション

主よ、ため息をつかれることはありますか

マルコの福音書8章

すると、パリサイ人たちがやって来てイエスと議論を始めた。彼らは天からのしるしを求め、イエスを試みようとしたのである。

イエスは、心の中で深くため息をついて、こう言われた。「この時代はなぜ、しるしを求めるのか。」(マルコの福音書8:11ー12)

イエスはそれに気がついて(弟子たちに)言われた。

「なぜ、パンを持っていないことについて議論しているのですか。まだ分からないのですか、悟らないのですか。心を頑なにしているのですか。

目があっても見ないのですか。耳があっても聞かないのですか。あなたがたは、覚えていないのですか。。。

まだ悟らないのですか。」(17ー18,21節)

イエス様、私たちの頑固さ、私の不信仰に、あなたはどれほど深くため息をつかれるのでしょうか。私が頑なな心を持ち、目が見えず、耳が聞こえず、何も悟れないとき、あなたはどれほど深くため息をつかれるのでしょうか。

それでも、あなたは私を諦めることはありません。

目の見えない人が見えるようになるまで、あなたがその目に触れ続けてくださったように、私が見えるようになるまで、私の目にも触れ続けてくださいます。

そして、私が聞こえるようになるまで、私の耳に触れ続けてくださり、心が和らぎ、悟るようになるまで、私の心にも触れ続けてくださいます。

あなたの素晴らしい恵みに感謝します。

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