キリストも一度、罪のために苦しみを受けられました。正しい方が正しくない者たちの身代わりになられたのです。
それは、肉においては死に渡され、霊においては生かされて、あなたがたを神に導くためでした。。。
キリストは肉において苦しみを受けられたのですから、あなたがたも同じ心構えで自分自身を武装しなさい。
肉において苦しみを受けた人は、罪との関わりを断っているのです。
それは、あなたがたが地上での残された時を、もはや人間の欲望にではなく、神のみこころに生きるようになるためです。(ペテロの手紙第一3:18,4:1-2)
日曜日に、私の牧師は、私たちの世界観、私たちのパラダイムを変えることについて話しました。多分、最大のパラダイムシフトは、私たちが誰のため、何のために生きるのかということです。
ペテロは、はっきりと言います。私たちの罪との契約は解除されました。私たちが罪の力と罰から自由になるため、イエス様は死んでくださいました。
だからこそ、私たちのパラダイムは、もはや自分の心、つまり、罪に導く自分の本能、感情、欲望に従うのではありません。むしろ、私たちは、御子を遣わすほどに私たちを愛してくださっている神のために生きているのです。
だから、ペテロは「心を整え、身を慎みなさい」と言います。私たちは、毎日毎日、一瞬一瞬、神の御心、知恵、力を求めるべきなのです。(第一ペテロ4:7)
でも、一人ではなく、神の民と一緒にするべきです。なぜなら、時々、私たちは油断して罪に陥ってしまうからです。でも、兄弟たちと姉妹たちの愛によって、私たちは癒され、立ち戻ることができます。
だから、ペテロは言います。
何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです。(第一ペテロ4:8)
多分、ペテロは自分の経験を考えていました。彼も油断して、罪に陥ってしまいました(マルコ14:37、66〜72)。でも、イエスの愛によって、彼は立ち直ることができました。
だから、イエスのパラダイムを取り上げましょう。自分の心に従うのではなく、私たちを深く愛してくださっている天の父の御心に従いましょう。でも、一人ではなく、神の民と一緒にそうしましょう。
