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ヨハネの手紙第一のデボーション

自分の心が私たちを責めるとき:神の子供としての私たちの希望

ヨハネの手紙第一3章

子どもたち。私たちは、ことばや口先だけではなく、行いと真実をもって愛しましょう。

そうすることによって、私たちは自分が真理に属していることを知り、神の御前に心安らかでいられます。

たとえ自分の心が責めたとしても、安らかでいられます。神は私たちの心よりも大きな方であり、すべてをご存じだからです。(ヨハネの手紙第一3:18ー20)

「神は…すべてをご存じだ。」

ヨハネのことばを読んで、ヨハネの福音書21章にある、イエス様へのペテロのことばを連想しました。

「主よ、あなたはすべてをご存じです。あなたは、私があなたを愛していることを知っておられます。」(ヨハネ21:17)

イエス様は、確かにペテロの心を知っておられました。実際、ペテロ以上に、イエス様はペテロの心を知っておられました。ペテロが将来、イエス様のために死ぬほどイエス様を愛していることを、知っておられました。(ヨハネ21:18〜19)

イエス様は、ペテロの弱さをよく知っておられました。

イエス様は、ペテロの過去の罪と失敗をよく知っておられました。

イエス様は、ペテロの将来の罪も知っておられました。

でも、ペテロがイエス様を愛し、イエス様のようになりたいと願っていることを、知っておられました。

神の子どもたちは、その態度によって特徴づけられています。彼らは、愛する主のようになりたいのです。

ヨハネは、その真理をこのように表現します。

愛する者たち、私たちは今すでに神の子どもです。やがてどのようになるのか、まだ明らかにされていません。

しかし、私たちは、キリストが現れたときに、キリストに似た者になることは知っています。キリストをありのままに見るからです。

キリストにこの望みを置いている者はみな、キリストが清い方であるように、自分を清くします。(ヨハネの手紙第一3:2ー3)

もちろん、今は、私たちは完全にイエス様のようになっているわけではありません。でも、神の子どもとして、私たちはそれを望みます。私たちは、完全になる日を待ちきれません。

だから、その間、イエス様のようになるための一歩を踏み出します。小さい子どものように、私はよちよち歩きかもしれないけれど、一歩一歩、歩き続けます。

イエス様が歩まれたように、私は歩き始めます。(第一ヨハネ2:6)

イエス様が愛されたように、私は愛し始めます。(第一ヨハネ3:16〜18)

そして、私たちが転んで、自分の心が私たちを責める時、私たちの天のお父さんは、私たちを引き上げ、励ましてくださいます。

「大丈夫です。あなたが私を愛していることを、よく知っているよ。歩き続けなさい。」

私たちが神の子どもと呼ばれるために、御父がどんなにすばらしい愛を与えてくださったかを、考えなさい。

事実、私たちは神の子どもです。(第一ヨハネ3:1)

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