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マタイの福音書のデボーション

イエス様についていくという喜び

マタイの福音書4章

イエスは彼らに言われた。「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしてあげよう。」彼らはすぐに網を捨ててイエスに従った。

イエスはそこから進んで行き、別の二人の兄弟、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、父ゼベダイと一緒に舟の中で網を繕っているのを見ると、二人をお呼びになった。

彼らはすぐに舟と父親を残してイエスに従った。(マタイの福音書4:19ー22)

イエス様が「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしてあげよう」と言われたとき、ペテロ、アンデレ、ヤコブ、ヨハネはどう感じたでしょうか。

自分はふさわしくないと感じたでしょうか。自分には資格がないと感じたでしょうか。少し不安を感じたでしょうか。

そう感じたかもしれません。でも、彼らはきっと深く感動し、圧倒的な喜びに満たされたことでしょう。

「俺なの?イエス様は俺を選んでくださったの?」

そして、深く感動し、圧倒的な喜びに満たされて、彼らはすぐに網と家業を捨てて、イエス様に従いました。

彼らは「イエス様についていかなくてはならないの?でも、そうすれば、俺はいろんなものを捨てなくてはならない」とは考えていなかったでしょう。

たぶん、彼らが考えていたのは、「俺はイエス様についていってもいいの?イエス様の仕事に参加してもいいの?すごい!やった!」と思っていたことでしょう。

でも、イエス様についていき、イエス様の仕事に参加することを考えるとき、私たちの多くは不安を感じます。「私はふさわしくない。私には資格がない。」

また、「これもしなくてはならない。あれもしなくてはならない」と考えて、重荷を感じます。

私がそう感じるときもあります。

でも、イエス様は私たちを深く愛してくださいます。

イエス様は私たちの失敗、弱さ、すべてをご存じで、それでも私たちを見て、こう誘ってくださいます。「私について来なさい。私の仕事に参加しなさい。」

それが、イエス様についていくという喜びです。イエス様は、私たちに素晴らしい特権を与えてくださいます。

イエス様についていき、その仕事に参加することは、「しなくてはならない」という重荷ではありません。

それは、「やってもいいの?すごい!」という大きな喜びです。

あなたはどうですか。その喜びを知っているでしょうか。

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