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マタイの福音書のデボーション

私たちが汚れているとき

マタイの福音書8章

すると見よ。ツァラアトに冒された人がみもとに来て、イエスに向かってひれ伏し、「主よ、お心一つで私をきよくすることがおできになります」と言った。

イエスは手を伸ばして彼にさわり、「わたしの心だ。きよくなれ」と言われた。(マタイの福音書8:2ー3)

ツァラアトは、とてもひどい病気でした。ツァラアトにかかった人たちは、のけ者とされ、神の神殿に入ることも許されませんでした。(レビ記13:45〜46;民数記5:2〜3)

その意味では、ツァラアトは罪を描写するものです。罪によって、私たちは霊的に汚れ、神様との関係、また周囲の人々との関係が壊れてしまいます。

しかし、今日の箇所では、ツァラアトに冒された人がイエス様のみもとに来て、「主よ、お心一つで私をきよくすることがおできになります」と言いました。

すると、イエス様は恵みとあわれみをもって、彼にさわり、「わたしの心だ。きよくなれ」と言われました。

私たちは、罪を犯したとき、神様が赦してくださるのか、受け入れてくださるのかと疑ってしまうことがあります。

だから、私たちはおどおどしながら神様のみもとに来て、「お心一つで私をきよくすることがおできになります」と祈ります。

イエス様は、ツァラアトに冒された人に答えてくださったように、私たちにも答えてくださいます。

「わたしの心だ。きよくなれ。」

ですから、神の子どもたちよ、神の御座に大胆に近づきましょう。なぜなら、私たちはあわれみを受け、恵みをいただくという確信をもっているからです。(ヘブル4:16)

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