それからイエスは弟子たちに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。(マタイの福音書16:24)
「イエス様について行く。」
「イエス様に従う。」
原語では、この二つの表現は弟子になることを表すために使われています。
「ついて行く」と訳される言葉は、直訳すると物理的に人の後ろを歩くことを意味します。
一方、「従う」と訳される言葉も「ついて行く」という意味を含みますが、多くの場合、「イエス様に従う」は、「イエス様から学び、イエス様の御声に応え、イエス様の導きに従う」というニュアンスを持っています。(マタイ4:20、ヨハネ10:4、27)
多くの人々がイエス様について行きました。癒しを求める人もいれば、イエス様の新しい教えに興味を持つ人もいました。
しかし、イエス様に本当に従っていた人は少数でした。
イエス様の弟子たちでさえ、従う姿勢を取らなかった時もありました。
イエス様が神様の計画を果たすために何をしなければならないかを説明されたとき、ペテロはその計画に従おうとはせず、むしろイエス様を別の道へ導こうとしました。その結果、ペテロはイエス様につまずきを与える者となってしまいました。
だから今日、私はこう考えました。
「私は本当にイエス様に従っているだろうか。それとも、イエス様を私の行きたい道に引っ張ろうとしているのだろうか。」
「私はイエス様の計画に従っているでしょうか。それとも、イエス様を操って、私の計画に従わせようとしているのだろうか。」
あなたはどうでしょうか。あなたは、ただイエス様について行っているだけでしょうか。
教会に行ったり、聖書を読んだり、祈ったりしているかもしれません。でも実際には、イエス様を操って、自分の計画に従わせようとしているのではないでしょうか。
それとも、あなたは本当にイエス様に従っているでしょうか。毎日毎日、一瞬一瞬、イエス様から学び、御声に応え、イエス様の導きに従っているでしょうか。
