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マタイの福音書のデボーション

どんな弟子を育てているのか

マタイの福音書23章

わざわいだ、偽善の律法学者、パリサイ人。

おまえたちは一人の改宗者を得るのに海と陸を巡り歩く。

そして改宗者ができると、その人を自分より倍も悪いゲヘナの子にするのだ。(マタイの福音書23:15)

弟子作りに関して言えば、パリサイ人と律法学者が悪い手本であることは言うまでもないと思います。

でも、イエス様の言葉を読んだとき、私は考えました。

「神様は娘と他の人々を私に委ねてくださったけど、私はどんな弟子を作っているのだろうか。」

私は、重くて負いきれない荷を束ねて彼らの肩に載せて、ただ「頑張れ」と言ったことがあるでしょうか。

それとも、彼らは正義と誠実だけではなく、あわれみも知っているでしょうか。(マタイの福音書23:23)

彼らは、私の中にそのあわれみを見ているでしょうか。また、彼らへの神のあわれみを知っているでしょうか。

彼らは、そのあわれみを知って、安心しているでしょうか。そのあわれみを喜んでいるでしょうか。

そして、彼らは回りの人々にあわれみを与えているでしょうか。

それとも、彼らは常に自分に厳しすぎ、回りの人々に厳しすぎるのでしょうか。

天のお父さん、私の娘や妻、そして私の回りの人々が私を見るとき、私は彼らに正義の人、誠実な人を見てもらいたいです。

でも、それ以上に、あわれみ深い人を見てもらいたいです。彼らには、あなたのあわれみの中を歩み、回りの人々をあわれむ人を見てもらいたいです。

私が、あなたのあわれみの中を歩む弟子、回りの人々をあわれむ弟子を育てる者となるように、私を助けてください。

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