興味深いことですが、エジプトの王の名前は記録されていないのに、「取るに足りない二人の助産婦」の名前は記録されています。
シフラとプアは、神様に忠実に仕えたので、神様はその二人を祝福してくださいました。そして、今日に至るまで、彼女たちの名前は聖書の中で記念されています。
その反面、エジプトの王は、神様に記憶されることも、誉められることもありません。
神の国では、自分は取るに足りない者だと思うかもしれません。
でも、神様に忠実に仕えるなら、シフラとプアのように、あなたは神様に覚えられ、誉められます。
私はシフラとプアの話を読んで、預言者マラキの言葉を連想しました。
そのとき、 主を恐れる者たちが互いに語り合った。
主は耳を傾けて、これを聞かれた。
主を恐れ、主の御名を尊ぶ者たちのために、 主の前で記憶の書が記された。
「彼らは、わたしのものとなる。 ──万軍の主は言われる──
わたしが事を行う日に、わたしの宝となる。」(マラキ書3:16ー17)
