こうして日がたち、モーセは大人になった。彼は同胞たちのところへ出て行き、その苦役を見た。
そして、自分の同胞であるヘブル人の一人を、一人のエジプト人が打っているのを見た。。。
それから何年もたって、エジプトの王は死んだ。イスラエルの子らは重い労働にうめき、泣き叫んだ。
重い労働による彼らの叫びは神に届いた。神は彼らの嘆きを聞き、アブラハム、イサク、ヤコブとの契約を思い起こされた。
神はイスラエルの子らをご覧になった。神は彼らをみこころに留められた。」(出エジプト記2:11、23ー25)
モーセは不完全な人でした。それでも、神様はモーセをご覧になったとき、ご自分と同じような心を持った人をご覧になりました。
モーセは、周りの人々のうめきや苦しみをただ見ていたのではなく、その人を助けたいと思いました。
だから、自分の民の苦しみを見たとき、モーセはただ黙って見ていることができませんでした。
もちろん、モーセのやり方は間違っていましたが、自分の兄弟たちを助けたいと思ったその心は、間違っていませんでした。
そのあと、いじめられていた女性の羊飼いたちを見たとき、先の失敗にも関わらず、モーセはただ黙って見ていることができませんでした。
そのように、神様もご自分の民の苦しみを見たとき、ただ黙って見ておられることはできませんでした。神様は彼らをあわれみ、助けたいと思われました。
だから、神様はご自分と同じような心を持った人を選び、遣わされました。
今なお、神様はそのような人を選び、遣わされます。
私はそのような人になりたいです。あなたはどうですか。
