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出エジプト記のデボーション

私たちの間に幕屋を張られた神

出エジプト記40章

そのとき、雲が会見の天幕をおおい、主の栄光が幕屋に満ちた。

モーセは会見の天幕に入ることができなかった。雲がその上にとどまり、主の栄光が幕屋に満ちていたからである。(出エジプト記40:34ー35)

今はクリスマス・シーズンなので、私は上記の言葉を読んだとき、ルカによる福音書2章の羊飼いたちの話を思い出しました。

さて、その地方で、羊飼いたちが野宿をしながら、羊の群れの夜番をしていた。

すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。(ルカ2:8ー9)

幕屋を満たしていたのと同じ栄光が、羊飼いたちの周りを照らしました。羊飼いたちが恐れるのも無理はありません。

モーセでさえ、神様の栄光に満ちた場所に入るのを恐れました。

しかし、御使いは羊飼いたちにこう言いました。

恐れることはあ

りません。見なさい。私は、この民全体に与えられる、大きな喜びを告げ知らせます。

今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。(ルカ2:10ー11)

イエス様を通して、羊飼いたちは、モーセでさえ持っていなかった神様へのアクセスを与えられました。

神様は、私たちにもその同じアクセスを与えてくださいました。

ヨハネはこう言いました。

ことば(つまり、神)は人となって、私たちの間に住まわれた。(マタイ1:14)

原語では、「住まわれる」という言葉には、「幕屋を張る」というニュアンスがあります。

神様がイスラエル人の間に幕屋を張られたように、イエス様が人間となられたとき、神様は私たちの間に幕屋を張られました。

だから、ヨハネはイエス様についてこう言いました。

私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。(ヨハネ1:14b)

そして、イスラエル人たちが旅をしている間、神様がインマヌエルであったように、私たちの人生の旅の間も、イエス様は私たちにとってインマヌエルであり、私たちにこう約束してくださいます。

わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。(マタイ28:20)

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