私はどうして呪いをかけられるだろうか。 神が呪いをかけない者に。
私はどうして責めることができるだろうか。 主が責めない者を。(民数記23:8)
私は上の言葉を読んだとき、ローマのクリスチャンたちへのパウロの言葉を連想しました。
だれが、神に選ばれた者たちを訴えるのですか。神が義と認めてくださるのです。
だれが、私たちを罪ありとするのですか。死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、しかも私たちのために、とりなしていてくださるのです。(ローマ8:33ー34)
サタンは天の父の御前で、私たちの罪と失敗のために責めようとします。
私たち自身、自分を責めるときもあります。
でも、天の父が責めていない私たちを、どうして私たちは責めることができるでしょうか。
私たちのために流されたイエス様の血によって、神様は私たちを義と認めてくださいます。イエス様ご自身が、天の父の隣に立って、私たちを擁護してくださいます。
神様は、あらかじめ私たちを知っておられました。
神様は、私たちが御子のようになるように、自分の子供となるように、あらかじめ定められました。
神様は、私たちを召してくださいました。
神様は、私たちを義と認めてくださいました。
そして、私たちに栄光を与えてくださいました。
神様は、そのように私たちを考えておられます。天のお父さんは、愛に満ちたまなざしで私たちを見ているのです。
そして、良い知らせは、神様は私たちに対して気が変わることがないということです。
私は、民数記23:19の言葉が大好きです。
神は人ではないから、偽りを言うことがない。人の子ではないから、悔いることがない。
神が仰せられたら、実行されないだろうか。語られたら、成し遂げられないだろうか。
神様は、私たちが祝福されるように定められ、必ず祝福してくださいます。(民数記23:20)
神様は、私たちの罪のために懲らしめるかもしれませんが、私たちを決して見捨てることはありません。
神様は、気が変わることがないので、神様の愛から私たちを引き離すものは何もありません。(ローマ8:38~39)
神様は、私たちとともにおられます。だから、私たちの王をほめたたえましょう。(民数記23:21)
そして、毎日叫びましょう。
「神様が私のためにしてくださったことは、なんと素晴らしいことでしょう。」(民数記23:23)
