もし、平和に向かう道を、この日おまえも知っていたら──。しかし今、それはおまえの目から隠されている。。。神の訪れの時を、おまえが知らなかったからだ。(ルカの福音書19:42、44)
今日、私は上記の言葉を反芻していました。
私たちの王を歓迎すると、平和を知るようになります。(38節)
ザアカイは王に心の戸を開け、平和と喜びを知るようになりました。
彼に対して、イエス様が嘆かれたパリサイ人たちや他のユダヤ人たちは、その後どうなったのでしょうか。
イエス様、あなたの良い支配を歓迎せず、私の心の戸をあなたに開けないことで、どれほどの平和を失うでしょうか。
私の前に立たれているあなたを認識さえしないことで、どれほどの平和を失うでしょうか。
