するとイエスは彼らに言われた。「さあ、あなたがただけで、寂しいところへ行って、しばらく休みなさい。」
イエスは、弟子たちが向かい風のために漕ぎあぐねているのを見て、夜明けが近づいたころ、湖の上を歩いて彼らのところへ行かれた。(マルコ6:31,48)
今日、イエス様がどれほど良い羊飼いでおられるかを思い巡らしていました。
イエス様は、いつも「仕え、仕え、仕え」と私たちに迫る方ではありません。イエス様は、私たちが御国のために何をしているかだけに関心を持っておられるわけではないのです。
イエス様は、私たちを心から愛しておられます。
だからこそ、イエス様はときにこう言われます。「少し仕えることを休みなさい。わたしと一緒に時間を過ごしましょう。」
それだけではありません。
私たちが「漕ぎあぐねている」とき、風が私たちに逆らっているとき、イエス様は私たちの苦しみに無関心でおられるのではなく、私たちのもとに来て、助けてくださるのです。
51~52節が、私の心をとらえました。
弟子たちは心の中で非常に驚いた。彼らはパンのことを理解せず、その心が頑なになっていたからである。(51-52)
もちろん、弟子たちは、とりわけイエス様の力に驚いていました。しかし、「パンのこと」は、単なるイエス様の力に関する教訓ではありません。
それは、良い羊飼いのように、イエス様が私たちを愛しておられるということなのです。
今日の箇所を読んで、最も印象深かったのはこの真理でした。
私の羊飼いは、私を本当に愛しておられます。
