もしだれかが、『なぜそんなことをするのか』と言ったら、『主がお入り用なのです。。。』と言いなさい。(マルコの福音書11:3)
翌日、彼らがベタニアを出たとき、イエスは空腹を覚えられた。 葉の茂ったいちじくの木が遠くに見えたので、その木に何かあるかどうか見に行かれたが、そこに来てみると、葉のほかには何も見つからなかった。
いちじくのなる季節ではなかったからである。(マルコの福音書11:12ー13)
今日まで、この二つの箇所の関係に気づいたことはありませんでした。
どちらの場合も、イエス様は何かを求めておられます。
しかし、前者の場合には、イエス様が求められるものを受け取られます。 後者の場合には、イエス様は何も受け取ることができません。
そして、私はこう考えていました。 「私から何か求められるとき、どれほどイエス様は手ぶらで去られるのでしょうか。」
イエス様、私から実を求められるとき、 あなたが決して手ぶらで去られないように。
