クリスチャンとして、忘れることは容易なことです。
神様がどれほど私たちを恵まれたかを忘れてしまいます。
世界の基が据えられる前から、神様が私たちを選んでくださったことを忘れてしまいます。
神様が私たちにふんだんに与えてくださった恵みを忘れてしまいます。
神の召しにより与えられる望みを忘れてしまいます。
私たちが受け継ぐものがどれほど栄光に富んだものであるかを忘れてしまいます。
私たちの中で働いている神の大能の力を忘れてしまいます。
私たちの王の偉大さを忘れてしまいます。イエス様は、「全ての支配、権威、権力、主権の上に、また、今の世だけでなく、次に来る世においても、となえられるすべての名の上に置かれました。」(エペソ人への手紙1:21)
だから、エペソ人への手紙では、パウロは神様が私たちの霊的な記憶喪失を癒すように祈ります。パウロは、私たちが上記の真理をしみじみと感じるように祈ります。
この箇所を読むとき、その言葉、その真理は心に響いているでしょうか。
それとも、全然何も感じていないでしょうか。あなたの心の喜びは冷めたでしょうか。
私はあなたのためにパウロの言葉を祈ります。
でも、私のためにも祈ってください。なぜなら、私も霊的な記憶喪失がある時もあるからです。
