幸いなことよ、悪しき者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、嘲る者の座に着かない人。
主のおしえを喜びとし 、昼も夜も、そのおしえを口ずさむ人。
その人は、流れのほとりに植えられた木。時が来ると実を結び その葉は枯れず、そのなすことはすべて栄える。(詩篇1:1-3)
詩篇1篇では、詩人は、神様のみ言葉に思いを巡らす人について書いています。彼によれば、その人は栄えて実を結ぶ木のようになります。
でも、私たちが誰のために実を結ぶのか、考えたことがあるでしょうか。私たちが栄えるとき、誰がその益を受けるのか、考えたことがあるでしょうか。
果樹は、自分に栄養や祝福を与えるために実を結ぶわけではありません。むしろ、その木は周囲の人々を祝福し、栄養を与えるために実を結びます。
私たちは、そのような人であるべきです。
多くのクリスチャンは、この箇所を読むとき、このように考えます。「聖書を読んで、その言葉に思いを巡らすと、私は祝福されます。」
もちろん、それが間違っているわけではありません。しかし、もっと大切なのは、私たちが実を結び、神様がその実を通して周囲の人々を祝福してくださることです。
私たち皆がそのような木であり、神様の恵みのパイプラインとなって、周囲の人々に触れるように。
