私は声をあげて主を呼び求める。 すると 主はその聖なる山から私に答えてくださる。(詩篇3:4)
日曜日に、教会で「やもめと不正な裁判官のたとえ話」についてのメッセージを聞きました。
そのたとえ話の中で、やもめは裁判官が願いを聞き届けてくれるという確信を、どれほど持っていたでしょうか。彼が彼女のことをまったく気にかけていないことを、よく知っていたはずです。
それでも、彼女の願いを聞いてくれるのはその裁判官しかいなかったので、彼に願い続けるしかありませんでした。
一方、ダビデは、神様が自分を愛しておられるという確信を持っていました。だからこそ、神様に祈るとき、聞き届けてくださるという確信も持っていたのです。
今、私はこう思います。「神様の答えが遅く感じられるとき、私は神様が聞いてくださるという確信を、どれほど持っているだろうか。」
私は、ダビデのような信仰が欲しいです。
私は声をあげて主を呼び求める。 すると 主はその聖なる山から私に答えてくださる。(詩篇3:4)
