後になってダビデは、サウルの上着の裾を切り取ったことについて心を痛めた。(サムエル記24:5)
サウルの上着の裾を切り取ったことで、ダビデの心がどれほど痛んだかに私は驚きました。
その代わりに、ダビデはサウルを殺すこともできたのです。それと比べると、ダビデがしたことは些細な罪ではないでしょうか。
それでも、その「些細な罪」でさえ、ダビデの心を痛めました。
それを読んで、私は自問しました。
「些細な罪のために自分の良心が痛むとき、私はダビデと同じように反応するだろうか。」
私には、些細な罪のために言い訳をするのは容易なことです。
しかし、神様の心にかなう人とは、大きなことだけではなく、小さなことにおいても神様を喜ばせることを意味します。
私の人生の隅々まですべてを神様の支配下に置き、神様に捧げていないものは何一つあってはなりません。
それが、私の祈りです。
主よ、私の人生にあなたの御国が来ますように。御心が天で行われるように、私の人生の隅々までにも行われますように。
