私は【主】に申し上げます。
「あなたこそ私の主。
私の幸いはあなたのほかにはありません。」(詩篇16:2)
今朝、ダビデの言葉を思いめぐらしました。そして、この考えが心に浮かびました。
「イエス様を『主』と呼ぶことには、喜びがあります。」
けれども、イエス様が良い方であり、私たちを深く愛してくださることを信じないなら、その喜びを知ることはできません。
その確信を持たないなら、イエス様を『主』と呼ぶことは、むしろ恐ろしいことになります。
ダビデは、神様を『主』と呼ぶ喜びを確かに味わいました。この詩篇を読むと、その喜びがはっきりと示されています。
私もその喜びを味わったことがあります。
けれども、私は毎日その喜びを満喫したいと願っています。
あなたはどうでしょうか。
イエス様を『主』と呼ぶ喜びをご存じですか。
