カテゴリー
マタイの福音書のデボーション

王を受け入れる

マタイの福音書2章

今日の話を読んだとき、マリアとヨセフに語られたシメオンの言葉を思い起こしました。

ご覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人が倒れたり立ち上がったりするために定められ、また、人々の反対にあうしるしとして定められています。

あなた自身の心さえも、剣が刺し貫くことになります。それは多くの人の心のうちの思いが、あらわになるためです。(ルカの福音書2:34-35)

「多くの人の心のうちの思いが、あらわになるためです。」

祭司長たちや律法学者たちの心は、確かにあらわになりました。

彼らはきっと、メシアが生まれたという噂を聞いたはずです。(マタイの福音書2:3)

それでも、彼らはメシアを探そうと全く考えなかったようです。私は、彼らが何を考えていたのか全く理解できません。

もちろん、ヘロデ王は自分の王位への脅威を殺そうとしました。

その一方で、博士たちはイエス様を礼拝するために来ました。

今なお、イエス様によって、人々の思いはあらわになります。

多くの人々は、飼葉桶に寝ている赤ちゃんとしてのイエス様を見ても、全く動じていません。

しかし、イエス様が王であることを主張すると、彼らの心はあらわになります。

それを即座に否定する人が多いです。

敵対する人もいます。

一方で、ある人々は礼拝し、従います。

あなたはどうでしょうか。

コメントを残す